たりたの日記
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私という人間はいつも忙しそうにしている。確かに気分は忙しいのだが、フルタイムで働いている女性、そのうえ子育て中という方々からすれば決して「忙しい」とは言ってはいけない身分なのだ。忙しくないことの罪悪感が自分に忙しいという暗示をかけているのかもしれない。または要領悪く立ち回って、ことさらに我が身を忙しくしているのかもしれない。 と、こんなことを書くのも、今日は朝から夜中まで珍しく、マジに忙しい日だったからだ。忙しいというのはふさわしい表現ではないな。密度の濃い日と言った方がいいかもしれない。
さて、その1日はこのように過ぎた。 午前10時〜11時半、英語学校で児童英検 午後1時、荻窪駅、ミュージカルの仲間とうわさのラーメン屋へ 午後2時〜5時半、ミュージカル「森のおく」の練習 午後7時30分〜8時半、大宮に戻り、教会の「讃美と祈りの会」 午後8時半〜10時半、教会の役員会 11時に仕事で遅くなった夫と遅い夕食を食べ、メールのチェックなどをして 午前1時就寝。
どれも収入に結びつくものではないので仕事とはいえない。かといって遊びというわけでもない。どれもが人との大切なかかわりがあり、心動かされることがあり金銭とは無関係ながら何かを産み出していく充実感がある。
英語学校の児童英検は私が教えている小6クラスの担当だったが、テストをやってみると、ひとりひとりの定着の度合いが良く分る。教えたのにできていないところもあり、定着しているかどうか、きちんと使えるところに達しているかチェックする必要があると感じた。それにしても、Yくん、英単語を読み取って答える問題が2択だというのに、100パーセントの確率で違っている。これにはぞぞっとしてしまう。今までやってきたフォニックス、文字を音に置き換えて音声化していくレッスンはどうなってしまったのだろう。他の子が全問できているだけに、不可解だった。後で聞くと眠くて、適当にまるをつけたという。確かに眠そうではあったが、果たしてそれだけだろうか、個人指導の時間を取ることにしよう。
ミュージカルの練習は荻窪の若杉小学校なのだが、そのそばにいつも列をなしているラーメン屋があって、気になっていた。そこでMさんとNさんと待ち合わせて、気になるラーメン屋へ行こうということになっていた。 名前さえ、覚えていなかったが、二葉というラーメン屋で、見るからに地味な見せ構えで人も10人がやっとカウンターに座れるような小さなラーメン屋だった。若いおにいさんの風貌は確かにカリスマラーメン屋(?)の風貌をしている。一口食べて、なんと鰹のだしが効いているラーメンだろうと思った。 独特な味、特徴のあるラーメンだった。でもいつも博多ラーメンの固麺やそれよりも固めの「バリ固」とうのを食べているせいか、麺がやわらかすぎると思った。家に帰ってラーメンにえらく詳しい(ほとんど趣味)夫にいうと、荻窪では古くからのラーメン屋で有名なんだそうである。いったいいつ行ったのだか、すでに探索済みで、家に何冊かあるラーメン屋ガイドにはあの地味な店が実物よりこぎれいに映っていたし、あのおにいさんはそのままの顔で映っていた。あの列はそういうことだったのかと納得。
ミュージカルの練習はなげきの歌の練習が中心だった。つらい思いをして死んでいった猫たちがあちらの世界から歌う歌である。 4匹の猫がそれぞれ 4つのソロを歌う。私の歌う2番目の歌は私が曲を付けたものだったが、作曲担当のkさんが初めのソロの明るい旋律から、2曲めの物悲しく、少し風変わりな旋律に巧みな転調でうまくつないでくださっていて、他の歌の間に挟まれていても違和感がなく、全体が奥行きのあるものになっていると思った。 ところが自分で作曲しておきながら、この曲は音が取りづらい上に、うまく歌わないと、歌らしく聞こえないということが判明した。声楽のレッスン曲を仕上げる時の要領で、きちんと練習していかねばと思ったことだった。
讃美と祈りの会は今回の担当のTさんが、祈りの項目を用紙2枚にびっしり打ち出してくれており、8人の参加者でそのリストもとにそれぞれ声に出して祈っていった。世界の平和への祈り、教会への祈り、病気の人や助けを必要としている人達への祈りと順番に祈っていくうちにあっという間に1時間は過ぎてしまった。 祈りの中で示されるということがある。私はここのところ、少しも良い方向に向かっていかないアフガニスタンの状況に、またアメリカの報復に対してどうにもならないといった無気力感に陥っていた。行動している人たちと同じテンションにないことでさらに後ろ向きな気持ちになっていた。けれど、祈りの中で、明日、ピースウオークや様々な平和のイベントをやる人達と祈りと思いをひとつにしたいという気持ちが起ってきた。またそういういうひとつひとつのことに神様からの祝福を祈る祈りが口をついて出てきた。また、祈りだけではなく、動きなさいというメッセージも伝わってきた。 祈り会の後の役員会で、明日の礼拝の席で、ペシャワール会が呼びかけている アフガン、いのちの基金への呼びかけを提案した。これまで、教会の礼拝のなかで、募金を呼びかけたことはなかった。そういう雰囲気がないので提案するのもためらわれてきた。でもみなで祈りった後だったからか牧師や他の役員から賛同を得ることができた。 夕食も食べないままでお腹は空いていたが、心は満たされていた。不思議なように疲れもなかった。 明日は成長感謝の礼拝なので、英語学校の生徒や父兄も何家族か礼拝に出席されることだろう。そんな中でアフガンの人々への祈りと献金をよびかけることができる。同じ時間に平和の為に行動を起こしている世界中の方々と和すことができる。うれしい。
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