たりたの日記
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昨日はまだ頭が動いた。仕事があったせいもあるだろう。今わたしたちが考えなければならないことや世界がひとつになるためのビジョンのようなものが沸き上がってきて、動き出さなければというポジティブなエネルギーがあった。 ところが、今日はうつろだ。被害者の数が多くなるにつれ、アメリカの報復を印象づける報道を繰り返し見るにつけ、体中がマイナスのエネルギーで支配されるようだ。憎しみとか憤りとかという言葉の中に覆い隠しているものが見えるような気がする。テロ行為は決して許すベからざるものだが、それを生み出したのはこの社会であり、そこに何かの歪みがあったことが露呈したのだ。 自分を正義のポジションに置き、他を裁くというこれまでのアメリカのやり方そのものも問はれているのに。
あのような犠牲を出した、第一次、第二次世界大戦から人類は何も学ばなかったかのようだ。いえ、物事を冷静に見つめ、正しい判断をしようとしている人々は多いはず、実際、Eメールなどで送られてくる彼らの実際の声は怒りにかられてはいない。報復などという言葉は見当たらない。「裁きは人間がすることではない、神にまかせよう。共に祈ろう」という諸国のルーテルアワーからの呼びかけが伝えられた。バプテスト教会に所属する友人からも同様な呼びかけがあった。
ところがCNNのニュースはブッシュの戦闘的な言葉ばかりを繰り返し流し、人々に愛国心を喚起しようとことさらに煽っているように感じる。日本ではアメリカの他の放送局や他の考えを持つ人の側の情報はテレビでは伝えられないので、よけいにその印象を強く感じるのかもしれない。 力で力を制することを、良しとするマインドコントロールが行われているのではないだろうかと別のレベルの憂いが頭をもたげてくる。 憎しみは憎しみを生む。今こそ、世界がひとつになる道を見い出していかなければならないと思う。
マスメディアに支配されることなく、一部の政治的リーダーに追従することなく、今だからこそ、ひとりひとりが「わたし」であり「あなた」でありたい。 問いかけはこの地上に今生きているひとりひとりに対してなされている。
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