たりたの日記
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2001年08月24日(金) |
生の幸い、命の煌めき |
「在すがごとく死者は語る」に続けて、鈴木秀子さんの「生の幸い、命の煌めき」を読んでいる。鈴木秀子さんはカトリックのシスターで、聖心女子大学の教授でもある。お会いしたことはないが、いつかお会いできるような気がしている。この方の本から学んだこと変えられたことは計り知れない。
この本も先の本と同様に根底に流れているものが、「生」と「死」は連続した世界であるというテーマである。 「死は忌むべきもの」という既成概念から解放され、死に対して新しい視点を持つことの大切さを、さまざまな事例を揚げながら説かれている。死は生の延長線上にあり、それゆえに、死は生の意味を閃きみせてくれるのではないかという彼女の問いかけに、私は全く同感だと思う。 私は日々、死を思わないことはないほど、死を意識している。まずは自分の死だが、これまでに死んでいった方々、今死に直面している人々のことを頭のどこかはいつも考えていて、茶わんを洗ったりしながら、生きているこの世界に身を置きながら、自分もやがてはゆくであろうあちらの世界へ心がさまよいだしていることがある。そういう時というのは何とも満ちたりた広がりのあるこころもちになっている。死を恐れた時期は確かにあったが今はその恐怖を思いだせないほど、死は別の意味を持っている。 大切な人を失うという悲しみや苦しみは決して避けて通ることはできないが、死を通っていった人が生前よりも生き生きと近くに感じられるという体験をしていると、死は新しい始まりという気がしてならない。 この本の中には臨死体験をした方たちが等しく、死を前にした時の至福感を述べておられる。また作者自身、臨死体験を通して啓示を受け、そこからメッセージを受け取るという体験をされている。臨死体験をしたことで、死がどういうものか知り、命が何であるか、新しい発見をされたのである。 本の中に出てくる方々の体験や鈴木さんのメッセージを読みながら、ひとつのできごとが思い出されたがそのことは明日の日記に書くとしよう。
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