たりたの日記
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掲示板にかめおかさんとマオさんが鈴木秀子さんの「愛と癒しのコミュニオン」のことを話題にされていたことから、わたしが思い出したことがある。そのことは私にとってとても意味深いことだったが、何か言い様もないことで、誰に語ることもなく、また書くこともないまま胸にしまっていたが、書いておきたいと思った。
2年前のこと、母が静脈瘤を取る手術をすることになり、その間、痴呆の父を老健施設にお願いすることになった。子ども達はみな他県で暮らしており、父の世話は母だけがしていたのだ。私は帰省したものの、父は私を娘とは思わず、私が家にいると、そこが自分の家とは思わず、おじゃましましたと帰ろうとする。帰るところとてないのに。とても父と2人だけですごせないと判断し、昼間は私が父といっしょに老健ですごし、夜は父が眠るのを見届けてから病院から戻り、また翌朝早く、老健へ出かけた。それでも、父は夜中に起きてはなかなか眠らずに職員の方や看護婦さんをてこずらせているようだった。そんな時、母を病院に訪ねる折り、母に本を買っていこうと立ち寄った本屋で鈴木秀子さんの本が目に止まり2冊求めた。1冊は「愛と癒しの366日」で、もう1冊は「愛と癒しの時間ー心が充たされる瞑想」というものだった。母のところに持っていくために買ったのだが、病院へ向かうバスの中で、その瞑想の本を読んでいて、ふとこれを父に聞かせたいと思った。そこでその夜、4つだかあった瞑想を声に出して読みテープに録音し、次ぎの日父のところへ持っていったのだった。病室なので、テープレコーダーにイヤホーンを取り付け、父の耳に持っていった。父が内容を理解できるとは思わなかった。でも切れ切れにでも瞑想ができ、就寝前の時間に心が鎮められたらと思ったのだった。
父の反応は意外だった。テープを聞きながら、強い反応を示した。顔がみるみる輝いてきて、「おおこんなこと言いよる、ほんとか、ほんとか、あなたは愛されていますと言いよる。ああ、泣こうごとある、、、。」 父は実際泣いていた。こんな父の姿を見たのは初めてだった。歓喜している、子どものように語られる言葉を受け入れ、それに感動している父。「こげんこと初めて聞いた。うれしか、うれしか」と自分の感情をそのまま口にしている父。そんな父を見ながら深い感動が起こったが同時に痛かった。70年の間、自分が愛されている存在だと、かけがえのない貴い存在なのだと誰からも言葉として語られなかった、語られたとしてもその言葉を受け入れたことがなかったということを知ったからだった。また私たちが知らないところで挫折感や劣等感、また孤独やあきらめを耐えてきた父が見えたからだった。
父は自分がこの世界でただひとりの存在として神から愛されている、その全存在を受け入れられているということをその時初めて受けとめたのだと思う。そしてあの時父の内におこったこと、それが癒しというものではなかったろうか。父はこのテープを聞いたことも、それを聞いて涙を流したこともそれから何分もしないうちに忘れてしまった。父の脳はもうどんなことも新しく記憶することはできない。しかし、あの瞬間に起こった癒し、神との和解のできごとは父の脳が記憶していなくても、神の記憶の中にはとどめられていると思うのである。
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