たりたの日記
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2001年08月09日(木) 納豆のこと

とても奇妙なことがあった。去年の1月から約半年程の間、私はむちゃくちゃに納豆に狂っていた。それまでは嫌いでほとんど食べなかったのに。
お腹が空くとどういう訳か納豆ののっかった御飯が浮んできた。買い物が大嫌いで、品切れのものがあっても、わざわざそれを買いに行くことなんかはしない不精者の私なのに納豆があと1個しかないとなれば、薄暗くなった道を自転車を走らせスーパーへ納豆を買いに行った。我が家の冷蔵庫を納豆が占拠し、家族から文句が出ていた。レストランでは納豆サラダを注文し、寿司屋で納豆巻を注文して変な顔をされた。果てはフリーズドライの納豆をおやつがわりに食べるほどだった。本屋で納豆の本を見つけた時はうれしくて即買い求め、何度もページをめくってはほれぼれと納豆の姿を眺めていた。これはもう納豆に恋をしているとしか言いようがないほどの異常なはまり方だったのだ。一日に6パックも食べていて、私は納豆があれば一生の間それだけで満足して過ごせると本気で思っていた。

ところがである。その頃、人間ドッグで、ひどい貧血症であることが分かり、造血剤の注射を週に3度も打つようになると、ぴったり納豆狂いが治まったのである。貧血が治って体調が良くなったのはうれしかったが、もう納豆を好きでなく恋が醒めたときのように、納豆の姿にも匂いにも心惹かれず、それどころかもう食べたくなくなったのは何とも残念なことだった。この心変わりの早さにちょっと自己不信に陥った。

あれからほぼ一年、今日の昼のこと、突然納豆が食べたいと思った。納豆をかき混ぜ、刻んだねぎと青じそとみょうがを入れて残っていたきゅうりの千切りも入れてお茶碗に半分ほどの玄米の上にとろりとのっけた。その姿の美しいこと。おいしいこと。なんとも満足な昼食だった。

さて夕方スーパーへ行った時、私はお菓子も肉もかごに入れたいとは思わないで、納豆を6パックかごに入れていた。これはどんな変化が私の体で起こっているのだろう。体が欲するものはその時体が必要としているものだと思う。食べ物への姿勢をほんの少し変えただけで、もう体は自分のニーズに敏感になっているのだろうか。心なしか、精神もぴっとひきしまったような気がする。
さて納豆との将来はいかに。


たりたくみ |MAILHomePage

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