たりたの日記
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何日か前に友人から来たメールに書かれていた言葉のことでこの数日間、思いを巡らせていた。
『私が感じた事は、アナタはいつも祈っているということ。アナタはいつもそこからなにかをしているという気がします。、、、、』
というものだった。彼女は私のやってきたことや夢中になってきたもののことをよく知っている。けれどいっしょに祈ったことはないし、彼女の前で祈ったこともない。だから、彼女がここで言う祈りというのは私が知る祈りとは違ったものだろう。でも、それはどういうことなのだろう。ここに聞きとらなければならないメッセージがあるような気がした。 実際、わたしは祈りの少ないことを内心恥じていて、ひとりの祈りも、人前での祈りも、そこに嘘はなかったかといつも心もとない気持ちでいる。祈りを忘れているという自覚はあっても、祈っているという自覚はなかった。
今日、病院の待ち合い室で検査の結果を待っている時、私の内に向かって語りかけてくる言葉を聞いた。 『アナタはいつも祈っている。喜びも、痛みも、不安も、感謝も、語りも、歌もそれはすべてここへと向けられている。アナタは気がついていなかったが、わたしはその言葉をすべて持っている』
その語りかけがどこから来ているのか知って、私は打たれた。 看護婦さんは私が検査の結果を心配して泣いていると思ったに違いない。 大きな大きな命の源へと私の生が、すべての人の生が流れ込んでいるということが、そしてその源と、このように交感しているということがうれしくて泣いていたのだったが。
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