たりたの日記
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2001年06月02日(土) |
ガーデニング・レッスン |
病院の待ち合い室で谷川俊太郎の詩「コカコーラ・レッスン」を読んだ。 かつては目で追うことしかできなかった言葉が今はすみずみまで体の中に入ってきた。それはひとつの作用となって、わたしの感覚のどこかに穴を開けたらしかった。 帰り道、自転車をこいでいると、すれ違う木々や花たちが迫ってくるのである。さかんにわたしへ向かって何かがやってくる。言葉のようでもある。命のようでもある。いつもの見なれた道が別世界になっていた。「ききみみずきん」をかぶったおじいさんがいきなり鳥の言葉が聞こえるようになったように、わたしは一瞬、植物の声が聞こえるようになったような気がした。 通りがかりの花の苗屋へふらふらと入り、花々から声をかけられるままに、自転車につめるだけの花の苗を買う。 家の中へも入らずに、花々を土に植えた。白やピンクや紫のペチュニア、アメリカンブルー、デラフェニウム、、、、。 わたしが育てているのではないな、と思う。花々の計画にわたしがはまっているようだ。こんな言葉が生まれてきてつながった。
ガーデニング・レッスン
基本の土と水と光りに加えて
ひとつ 見ること うっとりと見つめること あなたの視覚を伝わってくる色が あなたの血液に溶け 体の隅々にまで流れ込んでゆくほどに
ふたつ 言葉をかけること 愛していると伝えること なぜこんなに美しいのと溜め息も交えて あなたの言葉はハイポネックよりも効果的 花はそれを命に混ぜる
みっつ 一体となること あなたは裸になって花の前に立てばよい 花の命と交わればよい 花もあなたも同じ命の源から来たと知り 涙を流すとよい
花はあなたから育てられようとは思わない あなたを引き込もうと野心を燃やす まずはあなたの心を掴み 連れていきたいのだ 命の源へと
ガーデニングを志すなら 花の使命を知ること それに乗ろうと乗るまいと それはあなたの勝手だというものだけれど
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