たりたの日記
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2001年05月06日(日) |
バラノ木ニバラノ花サク |
真冬にバラの木を植えた。 「アイスバーグ」と名づけられたそのバラは真っ白で可憐でカタログで見るなり迷わず注文したのだった。 当然のことながら、真っ白な花をつけたバラの木が届くわけはない。それでも段ボールの箱から出てきた苗が20cmほどのロウで固められたただの棒だったのにはいささかがっかりした。これがカタログのようなバラの花を付けるなんて考えられなかった。そもそもバラなんてまともに育てたこともないのに、間違った買い物だったと後悔した。 しかし、バラの木はたくましい生命力を発揮して、霜にも度重なる雪にも耐えやがてロウを突き破って芽を出してきた。春がやってきたらぐんぐんと枝を広げ、いつの間にかただの棒だった木は柔らかなみずみずしい葉で覆われた。なんと蕾みもついている。 そして咲いた。
「バラノ木ニバラノ花サク ナニゴトノ不思議ナケレド」
その昔、中学一年の最後の日、担任で国語の教師だったS先生は短冊に達筆でこの北原白秋の詩を書いたものをひとりひとりの生徒に下さった。 その短冊を渡しながら、
「お前達、今はさっぱりこの詩の意味が分からんだろう。今に分かる。大人になったら分かる。それまでとっておけよ」 と言われた。
確かにその時の私はさっぱりその詩が分からなかった。当たり前のことが書いてあるとしか思えなかった。 先生からいただいた短冊は机の引き出しにしまってあったので、時々取り出しては、もう分かるようになっただろうかと自分の大人になった度合いを調べる物差のように思っていた。けれど何年も分からないまま年月が流れた。 今手許にあの短冊はない。結婚して故郷を離れる前までは、確かに勉強机の引き出しの所定の位置にあの短冊はあったのにあの机の中の様々な思いでの品ごと、今は記憶の中にしかない。 あの時の先生にはあれ以来お会いしてもおらず、お便りもしないままだ。国語でお習字の先生だったから、お便りを出すのに気後れがあったのかも知れない。 けれど大人になってバラの花を見る度にS先生の声や眼差しを思い出した。そして「先生、あの詩が分かるようになりました。」と伝えたい気持ちになるのだった。
今朝、バラの木にバラの花が咲いた。 真っ白なその花を見ながら、「ああ、分かったと思っていたけれど、ほんとうには分かっていなかった。今こそ分かる。」と思った。 でもいつかきっと言うのだろう。「あの時分かったと思っていたけれど、あれはほんとうではなかった、今こそ分かる。」と。
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