たりたの日記
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礼拝堂に置く花瓶を求めに教会の人達と益子へ行き、炬窯(かがりがま)というクリスチャンの陶芸家の窯元を訪ねる。 山奥に通じる細い道を走り、着いたところは高くそびえる杉の木に囲まれた小さな窯場だった。作業場に並べられたカップやポットやつぼはどれも違った形をしていても、ひとつの同じ響きを奏でていた。それがこの陶芸家のエッセンスなのだ。どれもしんとした響きを持っていて、しかもそれは冷たくはなく、素朴でふわりとしている。 礼拝堂の十字架の真下の台の上に置く花瓶は白いやさしい丸みをもっているものを選び、もうひとつ大きな花瓶は十字架を入れたものを焼いていただくよう注文する。 私は花瓶にしたり、ドレッシングを入れたりするのに良いくらいのピッチャーと、それの4分の1ほどの大きさの小さなピッチャーを求める。ほんのりと薄青いグレーで、まん中に四角、あるいは三角に上薬が抜かれていて、そこから土本来の色がそのままのぞいている。 家のテーブルに置くとそのあたりの空気がしんとしずまる感じがした。 大きな方のピッチャーにコーヒーを入れ、小さな方にミルクを入れて使ってみた。 持ち上げた時の感じも、注ぐ時の感触もとてもいい。 マーガレットが咲いたら差してみよう。ハーブや野の花が似合いそうだ。 焼いた方のやさしい目と温かな身のこなしが思い出された。 このように自分を作品に込め、それが他の人の生活の中で、良い響きを放つというのは 何と良い仕事だろう。
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