たりたの日記
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2001年04月06日(金) アメリカ人のともだち

今年もGの家族がカリフォルニアから一時帰国してきた。いつもこの時期、それぞれの家族で食事を共にし、成長したそれぞれの子どもたちと会い近況を語り合う。
Gはアメリカ人で彼女の夫は日本人、ひとり娘は言葉も感覚も容姿も両方のものを合わせ持っている。
私たちがGたちに会ったのは、私たちが4年半のニュージャージーの駐在が終わり帰国して一月ほどたった時だった。小学校の運動会で、我が家の長男のHが、Gが座る場所を夫に尋ねているのを通りがかりに聞いて、英語で「どこに座ってもいいんだよ」と答えたのが出会いの始まりだった。Gは瞬間、自分が突然日本語が分かるようになったと思ったそうだ。しばらくして、それが英語だったことに気がつき、息子を捜したらしかった。

彼女の娘は小学校一年生。日本の学校に通わせるようになって彼女はいやがおうでも、学校やPTAにかかわらなければならない。しかし日本の習慣に不馴れで言葉も不自由とあって、フラストレーションを感じることが多かった。
一方、私の方はすっかりアメリカの学校で教育を受けた2人の子どもを初めて、日本の学校へ通わせることになり、親子ともども、面喰らうことばかりという日々を送っていた。
お互いに共通している点は、他の人達にとって当たり前のことが、そうではなく、理解してもらえないことが多々あるということであり、また二つの文化や言葉を通して子どもたちを育てていきたいと願っていることだった。
Gと私はお互いが協力して、お互いの子どもを教育ことを始めた。週に一度、Gの娘に私が、私の息子たちにGがかかわった。いわば交換ホームスクールである。私は図書館から絵本をたくさん借りてきて、読み聞かせをしたり、いっしょに読んだリし、Gは男の子たちが喜びそうなゲームを見つけてきてはいっしょに遊んでくれたり、いろいろな話題を持ってきて、二人と話しをしてくれた。私には娘がおらず、Gには息子がいなかったので、お互いの子ども達とのかかわりは新鮮だった。
その後、私たちは少し離れた町へ移り、翌年Gたちはアメリカへ転勤となり、この交換ホームスクールは2年間だけだったが、振り返ってみれば、楽しい思いでがいくつもある。お陰で我が家の二人の子どもたちは逆カルチャーショックや疎外感にそれほど振り回されることなく、日本の生活に戻ることができたように思う。
それにしても、出会いは不思議だ。そこにはいつもとても偶然とは言いきれないものがある。


たりたくみ |MAILHomePage

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