たりたの日記
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メイ・サートンの「独り居の日記」(みすず書房)を読む。 そこから立ち上ってくる、部屋のにおい、庭のたたずまい、何より彼女の深い孤独に慰められる。私が自分の内に培いたいと思っている強靱な孤独。彼女の自然への想い、とりわけ花々へのそれに共感する。 彼女は私たちの魂を自然から、あるいは純粋な思索から引き離す日常の雑務のなかで、庭つくりをこのように見ている。 『..............そこへいくと庭つくりはまったく趣きが違う。広く”聖なるもの”ー成長と生誕と死ーに向かって開かれているからだ。花々の一つ一つがその短い生命のサイクルのうちにすべての神秘を包んでいる。庭のなかではわれわれはけっして死から、あの肥沃で、すこやかで創造的な死から、遠いところにいない。』
庭を死と結び付けて考えたことはなかったが、どこかでそれを感じていたような気持にもなる。植物とのかかわりから”聖なるもの”へと解放されていくことは、私に新しく開いた通路であった。この開いた通路からいくつものことがさらに開いていった。
テーブルの上の青い陶器の植木鉢に10cmほどのチューリップの原種が育っていて、 今日1日の間に緑色のつややかな葉の中からそっくり蕾みを持ち上げた。原種らしい野性味と力強さを秘めている。明日には開くのだろう。そこから流れ出てくるエネルギーに会える。
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