| 2004年12月17日(金) |
◆病院のいやな思い出 |
20代の後半に50ccのバイクで交差点直進中に 対向車線右折車とぶつかって右足内側靭帯、十字靭損傷の 怪我をして入院したことがある。 その病院は看護学校もやっているので、治療によっては たくさんの看護婦さんの卵が見学にやってくる。 それは致し方ないことだと思いつつ、いつも何の説明もなく 治療や処置に入るとぞろぞろと診察室に入ってくる学生に 「せめて一言言ってくれよ」と思っていたものである。 手術中も(下半身麻酔なので話や状況がわかってしまう) 手術経過の写真をバシャバシャ何枚も取られているのだが 記録をとるとか、見学者がいるとか何の説明もない。
父親は末期のガンで入院した。本当に死を待つだけの入院なので 気の弱い父に「ガン」ということを話さないように決めた。 それから数ヶ月がたち骨と皮になった父は個室に移された。 病院の医師はずっと「治療の為に告知させてくれ」と 言い続けていた。父親の兄が病院に来たときにその話になった。 医師は父がガンだと知らないから、薬をちゃんと飲んでくれないと言った。 薬をちゃんと飲まないのは本当だったかもしれない、でも 飲んだところでガンの進行が止まるわけではない。 治療の為にも告知させて欲しいという話だった。 で、告知することにした。 父は話を聞いて「これでなんだか全てに納得が行った」と言った。 それは天敵のような私が実家に戻ったり、 父の兄弟が次々と見舞いに来たりした事を言っていたのかもしれない。 そして2日後に父は息を引き取った。 告知した次の日、父は「夕べは眠れなかった」といった 既に体力のない父が眠れなかったというのは相当のダメージだ。 翌日の朝、肺炎を引き起こしてそのまま亡くなってしまった。 告知するなら入院した時にするべきだった。 あそこまで秘密にしたのだったら最後まで告知しなければ良かった。 いろいろな思いが脳裏を駆け巡った。 父が危篤に陥って病院に駆けつけた私に 告知した医師は看護婦とのおしゃべりの中での笑顔で私に会釈した。 老人のガン患者が亡くなることなど、彼の中ではどういうことでも ないのだな・・・と思った。 父親の遺体がまだ冷たくなる前に医師は部屋にやってきて 「今後の医療の為に遺体を解剖させてください。」と言った。 そして「すぐ済みますから」と続けた。 「お断りします。」と私は答えた。
近所にとても大きな医療センターがある。 そこは家から最も近い病院なのだが、遠い病院でもある。 花粉症がひどかったときにちょこっと見てもらおうと (距離的に近いから)行ったらすごく待たされたあげく 診療してくれた医師がこう言った。 「どこかおうちの近いところに耳鼻咽喉科はありませんか? 紹介状を書きますので、そちらに行ったほうがいいのじゃないですか?」 「ここが一番近い病院なんですけど」 医師は明らかに迷惑そうな顔をした。 おそらく「ここは救急患者や重症な患者で忙しいから あんたみたいな軽い人は他の病院でもいいじゃないか。」という そんな態度だった。 とりあえずそこの病院には「2度と行くもんかい!」と 強く思った。
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