サーモンピンク・フラミンゴ
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2009年01月26日(月) 親へのカムアウト・4

さて、話はそもそものいちばん最初のシーンに戻ります。
やっと今現在の話ができますよ!


「じょりぃさんさー、NHKの『ハートをつなごう』って番組、知ってる?」と母。

フラグ?とちょびっと身構えるワタシ。

しかしまだ、『ハートをつなごう』の何の話だかわかりません。
ここは用心深く。

「知ってるよー。何か見たの?」とワタシ。
「うん。 LGBTって言うんだっけ?そのときの番組、見た?」

やっぱりフラグだった━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!

「あ、うん。 でも1回しか見てないんだよね。お母さん見たの?」
「最初の1回だけ見逃しちゃったんだけど、後はみんな見た」
「そうなんだー」 平静平静平静<装い中

「なんかさ、LGBTってだけでも、ホントにいろいろあるんだねー」と母。
「あ、それがわかっただけでもすごいねー。飲み込み早そうお母さん(笑)」
「そう?(照) それにさ、パッキリ分かれているってわけでもないのね。
 パッキリしている人もいるんだろうけど、なんていうか、グラデーション状というかさ。行ったり来たりしてる人もいるみたいだし」
「そうだね。人によるんだろうけど。
 人格と一緒で、ワタシが思うに厳密に考えれば、100人いれば100通りのセクシャリティがあるんじゃないかと思ってるんだよね」
「うん、それはよくわかるよ」

で、ワタシの場合はねー、なんて具合に、割と自然な流れで、カムアウトのときにはできなかった、ワタシの同性愛傾向についても話してみたりして。
母はふんふんと聞いてくれましてね。

「それでさー、普通の人と比べるとさー・・・」とワタシ。
「それは違うと思う」  話を遮って母。
「え?」
「普通なんだよ。 じょりぃさんも、他のLGBTの人たちも。普通なの」

( °o °)

「・・・お母さん、ホントに飲み込み早いみたいね」 もともと頭は柔らかい人ですが。
「普通じゃないなんて思わなくていいし、普通であろうと思う必要もないと思うんだよね。
 だいたい、みんな普通だし、みんな普通じゃないし。
 『普通』の定義っていうのが、そもそも曖昧というか、あってないようなものだしね。
 ただ、今の社会では、LGBTの人たちは生きていきづらいだろうなと思うわ」
「そうだね」 ワタシ、語る必要ねえわ。
「それでさ、お父さんの言う、障害者への『かわいそうに』で思い出したんだよね。
 普通とか普通でないとかの判断を社会が勝手にくだすのは、LGBTでない人たちの傲慢だと思うんだよ」
「うん。それはワタシもそう思う」

ワタシ個人的には、慣習的にというか、悪意なく『普通』って言葉が使われてしまうことにまで、目くじらを立てるつもりはないんですけどね。(でもなぜか『ノーマル』『アブノーマル』にはちょびっと抵抗があったりもするんですが)
言葉の使い方や、その言葉に対する重さや思い入れって、人によってけっこう違いますし。
ワタシも便宜上『多数派』『大多数』のつもりでつい『普通』ってやっちゃいますし。


「でもさ、お母さんも今だからこういう話ができるわけでさ。
 じょりぃさんがずーーーっと、自分は普通じゃないって気持ちで生きてきたのだとしたら、苦しかっただろうなーって思って、
 それはホントにかわいそうだったなと思う」
「そんな(笑) 言わずにひとりでぐじぐじしていたワタシもいけないんだし」


お母さん、セクマイのことはもしかして、あまり考えないようにしているのかなーとワタシはちょっと思っていたものですから。
『ハートをつなごう』を一生懸命見て、自分なりに色々考えてくれたんだなーと思ったら、まだワタシの中にいくばくか残っていた氷のカケラが溶けていくような気分でございました。

「お母さんの飲み込みもいいんだろうけど、『ハートをつなごう』、けっこうわかりやすい番組作りをしてくれたのかなあ」とワタシ。
「うん、わかりやすかったよ。
 お母さんさ、じょりぃさんのそういうこと、もっと知りたいなーって思ってたんだけど、
 あなた話したくないのかな、とか思って。
 でも、何をどんな風に調べたらいいのかもわからないし、
 じょりぃさんの話を聞く前にあれこれ調べるのもどうなんだろうとか思ってさ。
 でも、あの番組見て『ああ、もっと早く、ちゃんと調べて、ちゃんとわかってればよかった』って、ホント思ったよー」

ありがたいことです。
なかなか心を開けない娘で、ごめんなさいでした。

「お父さんがね、『じょりぃが女性を好きになるようになったのは、小さい時に自分が野球とか男の子がするようなことばっかりやらせたからなんじゃないか』って言ったことがあってさ」と母。
「わはははははは。まあ、よく知らなければそう考えてしまうのも無理はないかもだけど、それとこれとは全然違うことだからー。
 お父さんにも、そんなこと気にしないでって言っといてあげてよ」
「うん、もう言った(笑) 知識がないってのもあるかもだけどさ、
 あの人、なんでも自分のせいにするっていうか、まず自分を軸に考えるところあるからね(笑)
 ついでだから、そのへんもちょっとガツンと言っておいたんだけど」

お、お父さん・・・なんかヤブヘビっつーか、お気の毒・・・。


「じょりぃさんから打ち明けられてからさ、いろんな人のことがアタマに浮かんだのよ。
 ああ、もしかしたら、あの人はそうだったのかもな、って思う人が、けっこういるんだよね」
「いるかもね。 そして、ワタシたちより上の人たちって、ワタシたちよりもっともっと生きづらかったと思うんだー。
 しかたなく結婚した人も多いだろうから、お母さんが思い出せる人たちよりももっと数的にはいるだろうね」

それから母が「日本はもともと同性愛にはゆるい文化だったはず」「お稚児文化とかもあったんだし」なんて話し始めたので、そのへんの話をお文化的にしたりして。
芸能人でも、この人とかこの人はたぶんレズビアンでねー、なんて話もしてみたら、「○○あたりも、どう?」なんて母。
しかもその人(誰だか忘れちゃったー(´Д⊂))、見た目すごくフェミニンで、でも言われてみればなるほどー、みたいな、割と高度なゲイダーぶりだったんですよ、母。
褒めてあげたらうれしそうでした。
オバマさんの話なんかも出て、人種差別とセク差別はどことなく似ているよね、みたいな話もした後に。

「でもね、世の中は絶対変わると思う。だって、マイノリティって言ったって、すごい数がいるわけなんだし。
 変わらなければ歪みが出るよね。変わらざるを得なくなってくると思うよ」 と母。
「うん。既に少しずつ変わってきてるしね」


この会話ができて、ワタシがどれだけ安堵したことか。
母は、この話題を避けていたわけではなかったのです。ということがわかったからです。会話自体も楽しかったですし。
『ハートをつなごう』よ、ありがとう。ワタシは1回しか見なくてごめんよ。

両親、今まではワタシにちょっと気を使いすぎていたのかもしれません。
ワタシも親に対して、気を使っていましたし。どこまで何を話したら良いものか、見当がつかなかったのです。
親も親で、どこまで何を聞いていいのか悪いのか、見当がつかなかったんでしょうね。
ましてワタシは、触れられたくない話題になると、ピタリと口をつぐみ、ひどいときはそのまま実家に近づかなくなるような困ったチャンです。
文句は言わない、ケンカもしないが、黙ってくるりと背中を向ける娘を相手に、何を話せばいいのやらわからなくなるのも無理はありません。
(最近はそういうことはしなくなったんですけどね!)

そしてもしかしたら、お父さんはまだちょっとピントがずれているかもしれません。(聞いてないけど)
でもずれていてもいいんです。理屈がワタシから見て「ええ?」って感じだとしてもかまいません。
根っこには善意と無邪気と、ワタシへの愛情があります。
理屈は少しずつ修正していけばいいことですし、もし修正しても父には理解できないとしても(既に理解してるかもしれないんだけど)、特にそのことに対して腹は立ちません。
こちらの言い分を全部飲み込め!というのはどうかと思いますし。
卑屈になっているわけではなくて、ワタシは父の理屈や感覚も尊重したいからです。
と、えらそうに言ってますが、めんどくさくて父にはちゃんと話せずにいるので、父がどんな風に考えているのかはさっぱりわからないんですが。
後で大ゲンカ日記を書くようなハメになるかもしれません。そのときはぜひお楽しみくださいませ。

そしてこの安堵と、怖いものがなくなって胸を張れるようになったのは、親がワタシのセクを知っても変わらずに・・・というより、今まで以上に愛情と応援を示してくれているおかげなのでありますよね。
という、肝心なことを母に伝えるのを忘れました(°▽°)ゴメンカーチャン


ただこれはワタシ、非常に恵まれたパターンだと思いますので、「ほら、だからあなたもあなたも、恐れずに親にレッツカムアウト!」なんつーことは思いません。
ワタシ自身、「墓場まで持っていこう」と思っていた人間ですし、人の気持ちも家庭環境も千差万別ですから。
このたび長々と語らせていただいたこの話は「親にカムアウトして、うまくいきましたー('∀^v)」ということではなくて、ワタシの家族の成長記録のようなつもりで書かせていただいております。

人の気持ちも家庭環境も千差万別と書きましたが、それに加えて「時期」とか「タイミング」ということもあると思います。
言わずにいて、親にずいぶんさびしい思いをさせてしまっていたな・・・という反省はありますが、でも、あのときより前にカムアウトしていたとしたら、果たして同じ結果になっていたのか。
答はNoだったのではないかと思います。
我が家が荒れていた時期は言わずもがなですが(母はあの当時、妹と無理心中しようとさえしたんですから、ワタシのカムアウトなんてとてもできる状態ではなかったと思います)、
妹が結婚して幸せになった、ワタシの20代中盤以降だったとしても「んー、どうだったろう?」と思います。
何しろワタシの20代ったら、カッカカッカと怒ってばかりでしたし。(家でおとなしくしている分、外では感情を爆発させまくっておりました)
もし親が受け入れ態勢を取ったとしても、ワタシの方がそれを受け入れられなかったかもしれません。
それらを思うと、うかつに「親にはカムアウトしたほうがいいですよ」なんて、とても言えませんわ。
ただ、ワタシに関して言えば、良いタイミングで親に話せてよかったと思いましたし、そのおかげで、人生は「単に死ぬまでのノルマ」ではなくなりました。ラッキーだったと思います。

そして、あのときにカムアウトし、そして親がそれを受け止めることのできる人間になっていてくれたことの大きな大きな功績は、実は妹にある、とワタシは思っています。
じょりぃ家に嵐を起こし、家族をあるべき形に再生したのは、妹だったのです。
ワタシは親に対して、思春期の頃から「何かこの人たちには選民意識のようなものがあるな」と感じておりました。特に母。
ありていに言えば、少々お高く止まっていたのです。それこそ『普通』の民だというのに(笑)
ワタシと妹は、選ばれた人間の選ばれた娘たちとして育ったのであります。たぶん。
無自覚のうちに「自分たちの娘としてあるべき姿」に育てていたんじゃないかと思います。
でもこれは親を責める気にはなれません。多かれ少なかれ、親というのはそういうものかもしれない、と思うからです。(違うよ!って親御さんがいらっしゃいましたら、どーもスミマセン(´∀`))

ワタシはそれに対して、特に疑問に思わず「親にふさわしい娘になりたい」とがんばれました。
が、前々回に長々と書いたとおり、歪みは確実に生じていたわけですが。
生じていましたが、そこに問題があるとは、ワタシも気付いていなかったんです。
ワタシは期待されることが好きで、それに応えるために努力をすることが好きでした。

が、妹は反旗を翻したわけです。
もちろん、上記のことをふまえた上で、とは思いませんが。
反旗を翻したというより、もう家族の中にいられなくなったのだと思います。息苦しくて、出ていくしかなかった。
親の良しとすることの正反対のことをし続けることで、彼女の自我は保たれたのではないかと。

妹が荒れたことにより、親のプライドや信念はひっくり返され、踏みつぶされ、掻き回され、「チャラ」になってしまいました。
チャラになるまでが大変だったんだと思います。
その「大変」に、家族として残り、傍観者のような立場でなりゆきを見守り、なりゆきに任せるしかなかったのがワタシでした。
そしてワタシは「何があっても、ワタシは妹を非難するまい」と、まだ若かった割にはきっぱりとそんなことを思っておりました。
どこにも帰る場所がなくなっても、「おねえちゃんなら・・・」と妹が思える存在でいたい、と思っておりました。
なぜそこまで「ワタシだけは妹の味方に!」と思ったかというと、まずは単純に妹がかわいかったからです。
ワタシの中では、いくつになっても、歩き始めた頃から小学校に上がるまではワタシの後ばかりよたよたとついて歩いてワタシの真似ばかりしていた、頼りなくかわいい妹であったからです。
加えて、ワタシは妹に、ワタシ自身の姿を重ねていたのであります。と今は思います。
ワタシ自身がセクのせいで「いつまわりの人に見放されてもしかたない」という劣等感を抱き続けていて、心細くてしかたなかったので、妹には「何があってもおねえちゃんは味方だから!」という意地のようなものがあったのではないかと。
妹を守ることは、ワタシを守ることでもあったのではないかと。
そして、妹が無事に「家族」に戻ってきてくれた以前と以後の両親、これは全然違うんですよね。
妹のおかげでうちの親、ものすごく人間的に成長しましたし、誰に対してもやさしくなった気がします。

妹がワタシに先んじて、「(いわゆる)普通じゃない」と社会から後ろ指さされてしまったおかげで、両親は「普通ってなんだよ!この子はいいこなんだってば!」という思いが何より優先されたわけですし、
「とにかく、生きててくれればそれでいい」と心から痛感し、今の両親があるわけなんであります。(ワタシもホントに、妹、体弱いですし、死んじゃったり殺されちゃったりしたらどうしようと思ってましたからねえ)
そして、今の両親があるから、ワタシのカムアウトも良い結果になったのではないかと。

とまあ、このへんが言いたくて、前々回、家族の歴史とワタシの立ち位置をくどくど書いたわけなんですよ。


「メエってさ、我が家の人柱だったよね(笑)」と、ワタシ。
「本当だよねえ(笑)」と母。

そんな妹は現在、長男が荒れておりまして
「あの頃のお父さんとお母さんの気持ちが、今よくわかります。はい。スミマセン」なんて言ってますが ァ'`,、('∀`)


親へのカムアウト話というよりも、家族のことについて長々とおつきあいさせてしまいましたが。
母親とのスキンシップについても絡めたかったのですが、焦点がボケすぎちゃうので、それはまたの機会のサモピンに回そうと思います。


というわけで。
親へのカムアウトが、『ハートをつなごう』のおかげで、ワタシの中で一段落した今思うことは。
お父さんお母さんありがとさん、はもちろんなのですが、それ以上に。

妹よ。
あなたにはまだきちんとカムアウトしていないけれど。
あなたが身も心もボロボロになるまで荒れまくりながらも、無我夢中・一生懸命生きていたあの頃に敬意を払いつつ、
あなたのおかげで存在する今現在の状況に、感謝しているよ。
ありがとナ。


と、いつか本人に言えるんだろうか(°▽°)ナンカハズカシクテナー



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