サーモンピンク・フラミンゴ
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2003年12月17日(水) |
アンジーエライの話が「神様が女だったら」話に |
昨日はきょんがお仕事お休みの日でありまして。 ふたりで仲良くこたつに並んでお昼なんぞを食べておりました。 今「こたつ」と言ってしまいましたが、我が家はまだこたつが出ておりません。 とても寒いです。 なぜ出ていないかというと、こたつの支度をする人がいないからです。 なぜいないかというと、めんどくさいからだと思います。 そんなわけで、ふたり並んで、膝に毛布をかけながらテレビを見つつ、食事。 ちょっぴり貧乏くさくてナイスです。
画面に映っているのは、テレ朝の「ワイド!スクランブル」。 ワタシたちは、家で一緒にお昼と食べるとき、なぜかいつもこれを見ているんですが。
そしたらなんとびっくり。 アンジェリーナ・ジョリーが画面に。
主演映画「すべては愛のために」がお正月に公開になるので、まあ関係各所のプロモーションもさかんな折でございますから、その一環のインタビュー放映だろうとはいえ、内容に驚きました。
この不安定な情勢下のイラクへ、慰問に行ってらしたそうでございます。アンジー。 (ちなみにもう帰ってきました)
聞いてるか小泉。
まあ、アンジーがイラクに行ったからって、なんの役に立つんじゃいというツッコミはぐっと飲み込んでいただきですね。 おそらくスタンドプレーとかプロモーション目当てじゃないと思うんですよね、アンジーの場合。(ひいきか?自分) ワタシ個人的には、アンジェリーナ・ジョリーとジョニー・デップは、こすっからい偽善的アピールはしないであろう、と信じているのです。 問題行動の多いふたりではありますが、悪さはしても、偽善はない、という、ワタシにとってはとびきり愛しいキャラクターなのであります。
で、先にも申しあげましたとおり、アンジーがイラクに行ったからって、なにがどうなるわけでもないんですよ。 でも、今をときめくハリウッドセレブが、「とにかく行かなきゃ」という気持ちひとつで乗り込んで行った、という心意気がじょりぃの胸を打つわけです。 ワタシなら行きません。 コワイもん。 ワタシのように意地の悪い人に「あんたが行ったからって」なんてことを思われるのも割に合わないよなーなんて考えちゃうでしょうし。
「戦争のない世の中になればいいのに」「平和を願ってます」と口で言うのは簡単ですが、けっこう自分の言葉に酔うように言ってる人に限って・・・・あ、いや、なんでもありません。 こういう決めつけはよくありません。はい。
でもですね。 自分ではなにひとつ犠牲を払わないのに、エラそうなことを言ってるのって、悪いとは言わないけど、カッコ悪いとじょりぃは思ってしまうのです。 数千円単位の、自分の懐がいたまない程度のお金を寄付して「できることはしている」と考える方法もアリですが、でもそれって、ちょっとでも余分にお金持ってる人なら比較的当然のことではないのでしょうかね。 もちろん、「したくないから」としないのも当然。 寄付ってそういうものですよね。 ワタシ? してる寄付もありますが、イラクにカンしては何もしてません。 だからカッコ悪い人のひとり。 でも、薄ら寒くなるような偽善は口にしたくないなとは思っております。 少なくとも、自分のオリジナルの言葉で考えを口にしたいです。右へ倣えな言葉でなく。
とまあ、上記文章は一部の人に反感を買いそうなモノでありますが。 まあ、じょりぃの個人的考えということで。
以前、「存在の必要すらないテキスト」にも書きましたが、アンジーは親善大使としてカンボジア難民救済にがむばっております。 孤児だったマドックス君(今2歳かな?)もひきとって育てたりして。 で、それが原因で夫だったビリー・ボブ・ソーントンと別れたりして。
自分のやりたいようにやってるもんで、そんな具合にツケも払うわけですが。
アンジー信者のような文章になりますが、同時多発テロのときも、アメリカ国民が自国のことでアタマがいっぱいだったときに(そりゃ当然だろうけど)、アンジーの思いはアフガニスタンへ。(ひねくれているのか?) 難民救済のために1億2千間円(違ってるかも)寄付。 アメリカ人によっては「非国民」呼ばわりする人だっているかもしれません。 でもまあ、きっと「やりたいからやちゃった」んじゃないでしょうかね、アンジー。
寄付話のついでですが、カンボジアにはもちろん既に多額のお金を投入しているわけですが、その他にも野生動物保護のために6億円の寄付。大金持ちアンジー。 お願いワタシを囲って。
そりゃ金があればアタシだってするよ寄付。 とおっしゃりたいのはわかりますが。
アンジー、まだ弱冠28歳。(あれ?29?うろ覚えですんません) ワタシが28歳だったら、湯水のようにお金があったとしても、たぶんそういうことにそんなにお金は使えないです。 宝くじ当たったら家のローン返したーいとかは思いますが、「今、生活に困っているわけじゃないし、じゃあこれをなかったモノと思って、難民に寄付しちゃおーっと☆」とは、とてもとても思えませんわ。 まあ、アンジーの財産とワタシの生活費は比べモノにならないというのもはばかられるほど比べモノにならないわけですが。
で、この「アンジー、イラク入り」のニュースを聞いて思い出したのが、炭疽菌事件で震撼していたNYでのドリュー・バリモアのお話。 NY入りを尻込みするセレブ陣のなか、「こんなときだからこそNYから離れちゃダメよ」とせっせとNYでの、それも標的にされやすいとされていたテレビ局で仕事をこなしていたらしいです、ドリュー。 心意気ですなあ。
女の方が恐怖心に強いのかしら実は。 って、2例しか挙げてませんが。 男性でもそういうところに、売名でなく純粋な動機で動くセレブなんかもいるんでしょうけれど、自分が女性の方にアンテナを向けてしまうせいか、男性の名前が浮かばないんですが。
まあ、慈善活動も、度を過ぎるとうざったいものになってしまいますから(ブリジッド・バルドーの動物愛護なんかは、すでにその域に達しているかも)、客観性を保ちつつ進めていただきたいとは思いますが、こういう活動って、女性の方が熱心ですよね。 それにやっぱり、強い気がします。オンナ。
てことで、ふと考えてみたんですが。
キリストやブッダが実在したのかどうか、ワタシは宗教にはとんと疎いのでさっぱりわからないのですが、そういう宗教の核となる人物設定が「女」だったとしたら、果たして世界は今と同じだったのだろうか、なんてことも考えてみてしまったじょりぃ。
だいたいなんで、そもそもそーゆー存在ってみんな男なんでしょうね。 おそらく、宗教の育っていった土壌である社会が、既に男中心社会だったからではないかと想像するわけですが。 神様が女だったとしたら、もっとずーーーーーっと昔から、男女は同権だったかもしれませんね。 「女性にも選挙権を!」とか「女性はセックスで感じてはいけない」「女は男よりも劣る性である」なんてことがそんなに昔の話でなかったことを思うと、神様がみーんな男だったということは、罪なことでございましたね。 関係ないとはちょっと思えないんですよね。 神様が女だったら、「男は女よりも劣る性である」なんてことになっていたのかなあ。 ワタシはなってないんじゃないかと思うんですが、それってワタシ、のんきすぎでしょうかね。
「愛と呼ばれるもの」という、たいしておもしろくないけどワタシの好きな映画があるんですが。 その中で、サマンサ・マシス演じる主人公が作って歌う「神様は女かもしれない」という歌を、ふと思い出したりしました。 映画も歌も、うっかり寝ちまうほどつまらないんですが、なんとなく心に残っています。 余談ですが、この映画では、まだブレイクしていないダサめのサンドラ・ブロックが見れます。 愚鈍な女の役で、なかなかいい味を出しております。 「もうすぐ死んじゃうリバー・フェニックス」主演。 興味のあるかたは、ぜひ。
とまあ、思いつくままに、情報の裏も取らずに勝手気ままなことを書かせていただきましたが。
今、ワタシがアンジーに願うこと。 それは
そろそろ世間を騒がすようなことをまたやらかしてくれないかなあアンジー。
そんなことです。 あんまりご立派な人のほうへばかりバランスが行ってしまうと、ちょっぴりさびしいじょりぃ。
さんざんエラそうなことを述べておきながら、ワタシが今願うのは世界平和ではなく、「アンジー、キテレツな行動を起こしてくれ」と。
すみませんねえ。 他人に厳しく自分に甘いんですワタシ。
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