|
|
2006年09月02日(土) ■ |
|
人 |
|
やることがある。沢山ある。山積みにある。 今日も色々あって目が回りそうだったんだけど、何故か自分は困っている人を見るとついつい助けてあげたくなってしまう困った性質を持っているらしく、夜中に恋愛相談(自分のすらままならぬのに)なんかを受けているわけです。
要約すれば、彼氏が就職で東京に行ってしまうのだが、どうしても自分は彼氏との遠距離恋愛に耐えられそうに無い。 そもそも彼女は彼氏に依存しすぎている気がしている。彼氏に対しては怒りたいこと、直して欲しいところがたくさんあるのに、それが言い出せず、彼氏のご機嫌をとる様に、毎日喜んでもらえることばかりしている。 それで、自分は嫌いだけど、彼氏が好きなショート・カットにしたし、前に作った手料理が美味しいといってくれたから、お弁当を作ってあげるし、ラインが見えるパンツが好きだと言っていたから、わざわざそんなブルー・ジーンズを探して買った。 彼女は自分でもなぜそうするのかがわからない。けれど喜んでくれるから、どうしても自分のことを差し置いても彼氏の気に入ってくれるようにしてしまう。本当は残り少ない時間を少しでも長く一緒にいたいのに、自分は恋人という関係性がずっと続くのだし、地元の友達とはもう滅多にあえなくなるだろうから、自分はぐっとこらえて、彼氏が友達と遊びに行くのを笑顔で見送る。本当は引き止めたい。けれどそうしてしまうのだ。
うーん。こうして見返してみるとなんて健気な女の子だろう。うちの彼女につめの垢でも煎じて飲ませたいくらいだが、いるのだ。こういう人間が世の中には。
思うに、人間には二種類がある。「人」という文字を構成する二本の棒のうちの左側、長い棒の部分である人間と、それを支える右側、短い棒の部分である人間。そして悲しいかな、恋人同士、もしくは夫婦という関係になるためには、どうしたってこの二種類の人間の組み合わせになる。 そりゃ、極稀には長い棒同士のカップルもいるかもしれない。けれど「/\」こんなバランスで成り立っている二人というのは、たいていの場合お互いの体重を支えられず、ずるずると「__」こうなってしまう。
それで、彼女の恋人は短い棒の人間で、彼女は短い棒に支えられないと立ってゆけない、長い棒である人間なのだ。
そう、この「長い棒」の部分を構成する人間は、自分一人では立って歩いていけない。だから常に「短い棒」の部分を構成する人間に支えられなければならず、だからどうしても相手のことを常に思っていなければならない人間なのだ。そうすることでしか生きる術を知らないのだから。 だが、これが「短い棒」を構成する人間にはわからない。なぜなら、短い棒は自分の体重にプラスして、人の身体を支えていけるだけのタフさがあるからだ。だから、恋人を置いて旅立つ東京にためらいを感じたりはしない。彼らは一人で立ってどこまででも歩いていけるのだ。
そして彼女はどうしたって、典型的な「長い棒」の人間だった。長い棒の人間どころか、既に「人」というバランスから「T」こんなバランスになってしまっているのかもしれない。そして、彼女は、「T」の支え棒が失われる時、自分の着地地点をどこにすべきかが判らない。
彼氏が東京に行ってしまったら、自分はどうしたらいいかわからないと言う。「そんなの、自分の好きな通りに生きればいいんだよ」と「短い棒」の人間はいう。そんなことは解りきっているのだ。けれど、それが出来ないのだから、どうしても相手を軸に考えないと一歩も先に進めないのだから困っているのだ。言い換えれば、相手のことばかり心配して、どこまでも付いて行きたいのが「好きな生き方」なのだ。そんな不器用でどうしようもない人種が、世の中には存在する。
だから今、彼女の未来は、まるで線路の途切れたままどこへ行けばいいのかわからない汽車のようである。自分で「自由」に動けない人だから、線路を見失えばそこから一歩も進めないのだ。
けれど、と僕は思う。 「仕方のないこと」はあるが、「どうしようもないこと」っていうのは存在しない。どうしようかはあるのだ。 例えば、目の前に不治の病を抱えた人が居る。現代の医学でその病は治せない。それは、そういう変更できない運命だと言える。けれど、その運命に囚われるまでは、自分次第なのだ。例えば患者の苦痛は取り払うことが出来る。病は直せないが、心は修復できる。
人生には何度か超えられそうに無い壁が現れる。それは運命だ。 だけど、目の前に立ちはだかるでかい壁を見て、引き返すのも、蹴りの一発でもかまして倒れないかどうか実験してみるのも、それは自分次第なのだ。 そして、壁を越える奴っていうのは、全員、でかい壁にとりあえず体当たりをかましてみる。それがダメなら蹴ってみる。意外にも引くのかも、と思ったりしてみる。壁が途切れたり、穴が空いていたりするところがあるはずだと思って、延々遠回りしてみることもある。 それで壁が越えられることもある。でも、いくらやってもダメだと諦めて、くるりと反転するとき、神様はそこに立っている。そうして、ただ一言こう言うのだ。君の進む道はあっちだ、と。
神様はでも、そんな簡単に出てこない。「死ぬほど」努力しないと出てこない。死ぬほど〜という表現はよく耳にするけど、そんな、若干死がちらつく気がする、程度の努力じゃない。本気であと一撃食らったら死ぬ、くらいの勢いの努力だ。そりゃ辛い。とんでもなく辛い。けど、壁は確実に越えられる。
そんなことは解っているんだよ、とは思う。では、解っているなら実行にうつせばよい。それが中々出来ないから困っている。 人間はつくづく難儀な生き物だ。壁にとりあえず当たってみたものの、人に支えられてここまで来たんだから、まずは自分ひとりで立つことから始めなければならない、どうしようもない不器用な人種もいる。けれど、足があろうが無かろうが壁はいつか越える。壁は逃げない。自分が壁から逃げるのだ。
|
|