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2006年02月20日(月) ■ |
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非常識? |
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誕生日に彼氏から貰ったハムスターを「暑くて可哀想だから」という理由で、空気穴もないタッパーに詰めて冷蔵庫に入れた女の子がいる、という話を聞きました。 非常識通り越して、もうアタマ大丈夫かなレベルで笑えもしなかったんですが、そんな話を聞いて、しかし「常識」というのは一体何だろうなと考えてしまう。
そういえば、猫が濡れていたから乾かそうと思って、という理由で電子レンジに放り込んだという人の話も聞いたことがある。その話を笑い話として高校生に話して、電子レンジの仕組みがわかっていないんだろうね、と締めくくったら、「電子レンジってどういう仕組みなんですか?」と質問されたことがあった。 そんなの中学理科レベルの知識だろう! とその時は思ったんですが、意外や意外。電子レンジの仕組みなんて気にしたことがない、という子が意外に多いことが後日判る。 あまりに身近に有りすぎるから、知的好奇心の対象に成り得ないんだ。なぜ呼吸をするのか。なぜものが見えるのか。そのレベルになってしまっているから、「不思議」だと思えない。
よく言われているように、今の詰め込み型教育じゃ、「知識」が増えるばっかりでそれを実際に使えない。6年間も英語をやって全く話せるようにならない英語なんかがその代表例。学校で得た知識はテストでしか使わない。 大人は「常識」を教えているつもりでも、子供はそれが「常識」だと思っていないんだ。そんなの言わなくてもわかる、なんて幻想に過ぎない。言わなきゃ解らない、子供は。
「常識」なんて幻想かもしれない。そんなものないのかもしれない。 外に出れば風が頬に当たるのを感じる。「風が吹く」ことを知っていることが常識だと思っている人が居る。だから、風が吹く理由を 「海の波が扇の役割をしている」 などと意味不明なことを言う中学生が出てくる。
「なぜ」その知識が必要かを最初に教えるべきじゃないかしら? いきなり物質の状態変化を教えて、問題を解かせて、それでテストする。 そんなことをしているから、状態変化を答えられるのに電子レンジの仕組みが解らなくなる。 「常識」を学ぶ場である家庭は仕事に両親を取られて、あとは学校や塾にお任せします、というパターンが多いし。
自分は必ず「なぜか」を考えなさいと良く言います。 でも、あまり評判は良くない。「わからない」と言えばその場は済むと思っている。だいたい生徒にとっては点数につながらないからあの先生の言うことは意味がない、と思っているし、会社も成績でものを言いなさい、としか言わない。
成績が何だって言うんだろう? テストでいい点数を取る能力は、人間が生きていく上でどれだけのメリットをもたらすんだろう。 成績がついた瞬間、人は自分の限界を知らされる。どんなに頑張っても自分は所詮この点数から上へはいけないんだと思い知らされる。数字は人の努力を冷酷に評価して、限界を決め付ける悪魔だ。それを覆してやろう、なんて闘志を燃やすやつなんかごく稀で、ほとんどの人は中学三年間で「諦め」だけを学ぶんだ。そして、数学者になれたかも知れない奴が諦めて、数学の勉強を辞めて他の教科の勉強を始める。その後の道をひとつ、閉ざしてしまう。
自分は講師に全く向いていないな、と思う。 何度もそう思って、何度も辞めようかと思ったけど。 今度こそ、本当に辞めることを考えているのです。
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