『資本論』を読む会の報告
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■第16回『資本論』を読む会は、5月27日(火)に行われました。
前回、前々会の復習の後、第4節「商品の呪物的性格とその秘密」の最初の部分を輪読し、討論しました。
第4節 商品の呪物的性格とその秘密
●呪物とは? 呪力や霊験があるとされる物のこと。 呪物崇拝は、「人造物や自然物に神秘的価値を認めて、信仰・儀礼の対象とする呪術的・宗教的態度。フェティシズム」のこと。物神崇拝とも訳されている。
商品は、一見、自明な平凡なものに見える。商品の分析は、商品とは非常にへんてこなもので形而上学的な小理屈や神学的な小言でいっぱいなものだということを示す。(国民文庫第1分冊133頁・原頁85)
●形而上学とは?
アリストテレスの中心著作の書名。存在者を存在者たらしめている超越的な原理、さらには神・世界・霊魂などを研究対象とする学問をさす。また「形而上」は「精神や本体など、形がなく通常の事物や現象のような感覚的経験を超えたもの」、「形而下」は「時間・空間の中に、感性的対象として形をとって現れるもの」のこと。
★商品の神秘的性格は商品の使用価値からも、価値規定の内容からも出てこない。 1.いろいろな有用労働がどんなに違っていても、どれも「人間の脳や筋肉や神経や手などの生産的支出」(国民文庫87頁・原頁59)であり人間労働力の支出=抽象的人間的労働 2.労働の継続時間(労働の量)は感覚的にも労働の質と区別されうる 3.「最後に、人間がなにかの仕方で相互のために労働するようになれば、彼らの労働もまた社会的な形態をもつことになるのである。」
●価値規定の内容とは?
価値規定は「社会的必要労働時間による商品の価値量の規定」のこと。価値規定の内容とは「社会的必要労働時間」のことではないか。 社会的必要労働時間は「現存の社会に正常な生産条件と、労働の熟練度および強度の社会的平均度とをもって、何らかの使用価値を生産するために必要な労働時間」であった。
【復習】
諸価値の実体をなしている労働は、同じ人間労働であり、同じ人間労働力の支出である。商品世界の諸価値となって現れる社会の総労働力は、無数の個別的労働力から成っているのであるが、ここでは一つの同じ人間労働力とみなされるのである。これらの個別的労働力のおのおのは、それが社会的平均労働力という性格をもち、このような社会的平均労働力として作用し、したがつて一商品の生産においてもただ平均的に必要な、または社会的に必要な労働時間を必要とするかぎり、他の労働力と同じ労働力なのである、。社会的に必要な労働時間とは、現存の社会に正常な生産条件と、労働の熟練度および強度の社会的平均度とをもって、何らかの使用価値を生産するために必要な労働時間である。……だからある使用価値の価値量を規定するものは、ただ、社会的に必要な労働の量、すなわち、その使用価値の生産に社会的に必要な労働時間だけである。個々の商品は、ここでは一般に、それが属する種類の平均見本とみなされる。したがって、等しい大きさの労働量が含まれている諸商品、また同じ労働時間で生産される諸商品は、同じ価値量をもっているのである。(国民文庫第1分冊78-79頁・原頁53-54)
・商品の価値は、ただ人間労働を、人間労働一般の支出を、表している。
・それは、平均的にだれでも普通の人が、特別の発達なしに、自分の肉体のうちにもっている単純な労働力の支出である。
・商品に含まれている労働は、使用価値との関連ではただ質的にのみ認められるとすれば、価値量との関連では、もはやそれ以上には質を持たない人間労働に還元されていて、ただ量的にのみ認められるのである。
・すべての労働は、一面では、生理学的意味での人間の労働力の支出であって、この同等な人間労働また抽象的人間労働という属性においてそれは商品価値を形成するのである。
●「人間がなにかの仕方で相互のために労働するようになれば、彼らの労働もまた社会的な形態をもつ」とはどういうことか? よくわからない。 ここでは価値規定の内容について述べている。「第一に」と「第二に」はわかるが「最後に」はどういうことだろうとの疑問が出された。「社会的形態」は労働について述べられているのだから「社会的必要労働」のこと、個々の労働力が「一つの同じ人間労働力とみなされる」という意味ではないかと考えられるが…それでいいのだろうか。
それでは、労働生産物が商品形態をとるとき、その謎のような性格はどこから生ずるのか?明らかにその形態そのものからである。いろいろな人間の労働の同等性はいろいろな労働生産物の同等な価値対象性という物的形態を受け取り、その継続時間による人間労働力の支出の尺度は労働生産物の価値量という形態を受け取り、最後に、生産者たちの労働時間の前述の社会的規定がそのなかで実証されるところの彼らの関係は、いろいろな労働生産物の社会的関係という形態を受け取るのである。
だから、商品形態の秘密は単に次のことのうちにあるわけである。すなわち、商品形態は人間にたいして人間自身の労働の社会的性格を労働生産物そのものの対象的性格として反映させ、これらの物の社会的自然属性として反映させ、したがってまた、総労働にたいする生産者たちの社会的関係を諸対象の彼らの外に存在する社会的関係として反映させるということである。このような置き替えによって、労働生産物は商品になり、感覚的であると同時に超感覚的である物、または社会的な物になるのである。……商品形態やこの形態が現れるところの諸労働生産物の価値関係は、労働生産物の物理的な性質やそこから生ずる物的な関係とは絶対になんの関係もないのである。ここで人間にとって諸物の関係という幻影的な形態をとるものは、ただ人間自身の特定の社会関係でしかないのである。(国民文庫第1分冊135頁・原頁86)
●「商品形態をとる」とは? 使用価値であるとともに価値をもつものとして現れること。
●価値対象性とは? 価値をもっているという性質。
●労働生産物の社会的関係 交換関係や価値関係のことか。 後で出てくる「諸対象の彼らの外に存在する社会的関係」も同じ意味。
●人間自身の労働の社会的性格 他人のための労働という性格と理解していいか? 「商品を生産するためには、彼は使用価値を生産するだけでなく、他人のための使用価値、社会的使用価値を生産しなければならない」(国民文庫第1分冊82頁・原頁55)
●社会的自然属性とは? 「社会的」とはここでは「自然的」ではないということを意味している。それが「自然属性」につづくので奇妙な感じがするが、「自然的、つまり物理的とか化学的な性質ではなく、社会的な生まれながらにもっている性質」といったことではないか。
【資料】
商品形態は労働生産物の独自な社会的形態である
商品は労働生産物がとる独自な社会的形態である。商品の使用価値は他人のための使用価値、つまり社会的使用価値でなければならず、価値は社会的に規定されるまったく社会的な属性である。商品はまつたく社会的なものである。
労働する諸個人が生産のなかで取り結ぶ特定の生産関係のもとでのみ、労働生産物は必然的に商品の形態をとり、商品のなかから貨幣が生まれる。このような生産関係を商品生産関係と呼ぶ。つまり、商品とは商品生産関係のもとで労働生産物がとる社会的形態であり、商品生産とは、商品生産関係が支配する社会的生産形態である。
商品生産関係のもとでは労働生産物が商品形態をとり、そのなかから貨幣が生まれるのは、人びとの意志や意欲から独立に貫く法則であり、この法則が人びとの意志や意欲を規定する。 (大谷禎之介『図説社会経済学』72−73頁)
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