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2012年05月12日(土) |
先生の考えはもう古い? |
いよいよ3回生のゼミ配属も決定されて、2012-13シーズンのメンバーが確定しました。 今年は卒論生6名、3回生7名、院生2名の15名体制でのぞむことになりました。
私立につとめておられる先生方からしたら「すくなっ」という感じかもしれませんけれど、中高の1クラス分くらいが1学科の私たちからすると、多い部類です。これ以上はちょっと無理です。
そこで残念ながら面接でセレクションをかけることになってしまいます。でも、面接すればしたで皆さん魅力をもっておられて、この学生と2年間すごすとどう育ってくれるのだろうかと楽しみになったりするわけで、実際のところセレクションは難航をきわめます。本当なら全員とりたいところではあるけれど、自分の能力不足で、途中で放りだしてしまうことになったらもともこもありません。
今年は(ここ数年ずっとですが)数名の方にはお断りをせねばならない状況なわけですが、そういうわけで、決して切り捨てているわけではありません。それぞれ他のゼミにいっても十分やっていけると考えて、教員の総意として調整しているので悪しからずよろしくお願いします。
さて、我がゼミではフィールドワークやインタビューを方法論として卒論をかくものが多い。まあ、ボスがそういう研究ばっかりやってきたわけだから、そうなってしまいますね。ただ、質的研究というものをあまり安易にできるものとは思わないで欲しいし、理論的な部分でもちゃんと考えてほしいと思う訳です。というわけで、このまえのゼミでは南博文先生の「事例研究の厳密性と妥当性についてー鯨岡論文(1991)をうけて」という論文を私から紹介しました。これは発達心理学会と発達心理学研究ができた当初、盛んだった「意見論文」のなかでかなり熱くかわされた事例研究とは何かということについての議論の一部です。僕はリアルタイムではこの論文をフォローしていたわけでありませんが、院生の頃、質的研究を志すものとしてこの論文を何度も読み返したものでした。
ところで、この論文の発行年をみると1992年とあります。もう20年も前です。ゼミ生が産まれるかうまれないかという頃に公刊されているわけですね。私のなかではまだまだ過去にはなりきっていないのですが、学生にとってはだいぶん昔だなあと思ったかもしれません。心理学においては、しばしば、最新の知見というものが重視されます。私も卒論を書いたとき、Chase & Simonによる知識のコンパイルに関する論文を引用したのですが、それがでたのが1973年。我ながら「古典や」という感じでした。いまのゼミ生にとってもそういうもんなんでしょうかね。
もちろん、方法論の洗練は大事だとは思いますが、いつまでも質的vs量的だとか、質的研究はーとか言っている場合でもないのかもしれません。
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