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2006年07月26日(水) 四者悟入

先日、ある先生からはじめて聞いた。ちょっと調べてみたらけっこう言われてるみたいですね。知りませんでした。

その先生いわく、教師は4つの顔をもたねばならぬ。

学者・・・自分の専門をおさめるのは当然。自分の専門でなくても、子どもからたちあがった疑問によりそい、学びへとたどりつく道をつけてあげなければならない。

医者・・・教えるだけではなく、生徒の様子を把握していなければならない。例えば朝、生徒の顔をみて「あ、この子は今日は調子悪そうだな、昨日なにかあったのかな」とすぐに気づけるように。

易者・・・生徒に予想をもって関わらねばならない。たとえば指導案を書く。この発問なら3割の子はのってくるだろう。7割のってこさせようと思えばどんな問いかけがよいだろう、というふうに。

役者・・・素で関わるのはよくない。生徒に自分の思いを伝えるために、ときには大げさに、ときには抑え気味に、その子やクラスの状況をふまえながら、意図をもってふるまわなければならない。

なるほどね。誰だったか忘れたけど、教師の実践的知識は、ときに格言としてもたれているといってますね。この先生にとっては、これが実践的知識としてあるものなんでしょうかね。

ここでは上記の格言が立派だとか(逆に、陳腐だとか)いうつもりはないです。教師をやっているわけでもなく、判断する資格もないというのもありますが、というよりも、そういう価値づけは僕にとってはどうでもいいことです。

たぶん人によって「ああ、そうだなあ」と思い、人によっては「なんだかしっくりこないなあ」と思うことでしょうね。でも、たしかなことは、多くの先生は、子どものことを語るためのイメージだとか格言だとか、ナラティブだとかをもっていらっしゃるということで、そこに先生らしさとか、そこにいたるまでの先生の個人史だとか、いまの先生のスタンスだとか、そういうものが全部凝縮されてあらわれている(・・・ものとして見ることができる)。

それがすばらしいなと思っている次第。



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