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2006年03月29日(水) 芹沢一也『ホラーハウス社会』講談社α+新書

遅まきながら、手に入れて読んだ。

著者がとりあげている「凶悪犯罪は低年齢化、急増している」という言説にはそれほど根拠がなく、ここ40年ほどをみれば、少年犯罪はむしろ激減しているし、世間が理解に苦しむような凶悪犯罪は昔にも存在していた、といったことは、すでにいろいろなところで言われていることである。また、山形マット死事件などを境にして、少年を刑罰よりも、教育の対象としてみて、保護すべきであるという精神は失われ、社会的に共有されなくなっていったというのもしばしばいわれる。

こうした保護思想が共有されなくなった社会は、現在どうなっているのか。著者はそれを自らを安全なところにおいたまま、「少年」や「異常者」をモンスターにしたてて、社会をお化け屋敷にみたててスリルを楽しむ社会だという。地域の防犯運動で、そろいのパーカーを来てパトロールする人々などのように、もやは防犯活動はエンターテイメント化しているという。

著者が現在の社会に対して感じる違和感はおおむね共有できるのだが、「ホラーハウス社会」というとらえ方はどうなんでしょう。地域安全マップ作りや、地域安全パトロールといったような動きは、まったく無関心な状態に比べればよほどよいと思う。地域の大人とほとんどしゃべったことがない子どもが社会を知るきっかけになったり、大人も子どもの顔がわかることで、これまでのように無関心ではいられなくなる。

誰でもそうだが、面倒なことはしたくない。少年に対する懇切丁寧な関わりがあればいいが、それを使命のように感じる善意の人はそうそういない(だから、とってもありがたいのだ)。エンターテイメント性があって、お手軽だからこそひろまっているという側面に、もっと肯定的な意味づけはできないものか。

前言と矛盾するようだが、『少年問題ネットワーク』にでてみると、少年に潜在的に関わりたいと思っている人はけっこういる。だが、そのような人がどうやったらいいかがわからない現状がある。こころある人がでていこうとしても、適切な場が整備されていない。昔のような地域共同体が崩壊したことを嘆く人たちの声もわからなくはないけれども、もはや昔にもどすことはできないのだから、代替的に新たな社会のネットワークを作らなければならないのだと思う。上述の動きも、そうした少年の発達を見守るネットワーク作りのきっかけとしてみてはどうか。


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