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2006年01月22日(日) |
現実の表象なのか、現実の一部なのか |
日常でのうまくいかなさを訴えて来談する患者に対しては、これを「診断」せねばならないということになっているらしい。このとき、「診断」というのは日常生活をおくる人々が、それぞれに自分のうまくいかなさについてあれこれいうのとは次元を異にする(というよりも一段上に位置づく)記述であるとみなされることになる。
だから、診断名を告げることが、現実の人々の生活に影響を与えるということは、おこってはならないということになる。これは言語(診断名)と、それが指示される対象(実体としての病理)があることを前提にしている。現実の記述が、二重化されているわけだ。
ところが社会構成主義的な立場にたつならば、現実とは言語を媒介として社会的につくりあげられることになる。のだから、診断名もまた現実の重要な一部ということになる。
ただし、実践的に考えれば、これは「診断すること」と「診断を伝えること」にわけることができ、「診断名を伝えることが現実を変えてしまう」という現象は、「診断を伝える」ことに該当することになるのかもしれない。
で、だとすると、実践的に考えれば、医師や私たちが気をつけなければならないのは、「診断を伝える」テクニックであるということにできるのだろうか?。
つまり、「診断」が現実の表象ではなく、それ自体、ひとつの現実であるというような認識論上の大問題に発展するまでもなく、単に現実の表象たる診断をうまく患者に伝達するのか、その方法を整備すればよいというような、技術的な事柄におとしこまれてしまうのだろうか?。
ま、うまくいけばそれでいいじゃんということも思いつつ、ここらへんどうなんだろうか専門家にきいてみたいなーと疑問に思ったりした雪の夜。
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hideaki
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