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| 2005年11月27日(日) |
今日は「食」について考えつつ、食べる。 |
第2回のうみかぜシンポだった。今年のテーマは「食」である。
霊長類研究の上野先生、乳児の食事場面をおった川田先生、保育園、幼稚園での昼食場面をおった外山先生、保育園における食事介助という出来事の意味をおった石黒先生と、多種多様な方々のご発表。大変、勉強になった。
食事場面に対する研究についてはあまりにも先行知識がなかったし、多種多様なご発表なのでまとめることは難しい。自分の不勉強が恨めしいが、しばしば栄養摂取か、あるいは単に個人的な楽しみとしてとらえられがちな「食事」というものが、いかに社会ー文化ー歴史的に方向付けられているということが改めて認識された。
「食」が社会的出来事であるという前提はとてもよくわかるのだが、フロアからは「食ならではの生物学的な機能というのを考えなくていいのだろうか」という問いかけが何回かあった。これはやっぱり考えないといけない。
ただ、それは社会的な側面と、生理的な側面が別々にあるということではいけないだろうなと思った。生理的側面もまた、社会的に可視化され、言語化されることによってわかってくるという面がある。例えば、わけもわからずに、情動が喚起され、身体はうごいてしまう。そして動いちゃったあとで意味がわかる、ということがある。
社会構成主義的な発想は、しばしば、何事も社会的な構築物にすぎない」という主張だといわれるのだが、実はそうではなくて、社会的な構成と、客観的な実在というのは分けられず、両者は同時であるというのがいいたいことなのだと理解している。
Gergenのアプローチに対しては「ナンセンスなものを扱えない」という批判がある。社会的に構成されるといおうと、実体としてあるといおうと、すでに有意味化されたものの相関関係を扱うだけだったら、結果的に読者に与えるメッセージとしては一緒だと思う。ただ、では「ナンセンスなもの」ってなんなのっていう時に、情動とか感情とかいいだして、すぐに脳にいってしまうのではなくて、それもマイクロにみながら社会的にいかにそれが達成されているのかをみていくってことが大事なんじゃないかと思えてきた。これが今日の収穫。
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