I create you to control me
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20050920 朝からregisration deskにいってポスターの顛末を話す。Cuberoさんが自分の研究室に案内してくれて、無事に原稿をうちだすことができた。とりあえず、これでひと安心。親切な対応に感謝。で、後にわかったところによれば、大学の玄関をでてすぐのところにネットカフェがあり、そこでは1枚1ユーロで印刷してくれるらしい。1ユーロって高いよね。
午前中はMary Crawfordのネパール女性のジェンダー実践のレクチャーを聴く。ネパールでは、カースト制の影響であったり、貧困であったりといった要因がかさなって、若い女性の売春なども頻繁におこる。これをCrawfordは3つの次元にわけて考察していた。ひとつひとつの研究結果はきれいで面白かった。
だが最後に、では、これをどう変えていくのか(変えていけるのか)という話になった時には、ネパール人女性がおかれている状況の重さを考えざるをえなかった。というのも、結局、カースト制度であったり、構造的にうみだされる貧困層であったりを変えていくという指針が示されていたからだ。そういうことはおそらく、多くの人がわかっていて、それをどうすればいいのか、NGOが関わるといってもそこでどうすればいいのかというのが問題になるのだと思うのだが、そこまで問題はすすんでいないということなのだろう。
午後からはKris GuttierrezとColett Daiuteのセッションにでる。グティエレースは「第三空間 (the third space)」で有名な人。マイノリティーの英語教育に関心をもちつづけている。彼女自身もプエルトリコ出身だったらしく、ただし、とても恵まれて大学教師になったことから、このような関心にいきついたとのことである。
ダイユートはこのまえ科研の読書会で読んだ"Narrative Annalysis"を編集した人。今回はナラティブを語ることにまつわる問題について話していた。裁判や学校教育場面において、子どもは自身の経験を、一貫性や正確性といった基準をみたしながら語らなければならないといったこと。これは日本の供述分析などにも通じる話だ。彼女はさらに、フィクションを語ることがもつ効果についても話し、自らの体験ではなく、(その影響をうけているのだが)主人公の体験として語ることによって、自由に語る余地がうまれることがとても重要であると述べる。僕は臨床心理学の授業におけるロールプレイでは、必ずフィクションを語ることを求めているが(別に僕が考えだしたものではないが)、これも上記の観点からみれば説明できるということかもしれない。
とにかく自分のポスターの心配(内容以前に、物質的に)でバタバタしていてあまりゆっくり聞けなかった。でも、聞いてみると他の日本人参加者でもポスターが紛失したという人がいたし、それに会場はしばしばパワーポイントの設備がおちまくるので、ほとんどの発表者が原稿を読み続けるということが続いて、みているほうもかなりタフだった。日本語だって、前でひたすら原稿をよまれると聞いていてつらい。
なにがあっても動じずにやれなければこの学会は厳しいということか。T先生はこのような事態を予想してOHPしか用意しないという(でも、ある部屋ではOHPも動かなかったらしいのだが)。これはこれですごい。サッカーではないが、アウェーでの戦いを心得ているということか。
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hideaki
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