I create you to control me
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立命館にアーサー・フランクの講演会にいく。質心にも来るのであるが、僕は参加できないので今日聞きにいっておいた。講演、そしてその後のシンポジウムを通して印象にのこったのは、ナラティブの探求を通じてつくられたモデルはいったい誰のためのものなのか、という問いかけだった。
ところで、昨日、『積み木崩し、その真相』とかなんとかいうドラマをみて、これがけっこう印象に残っている。『積み木崩し』というのは僕が子どもの頃にたいへんはやった小説である。中学生になる娘が突如非行にはしり、父母が一生懸命たちなおらせるために頑張るというような話であり、親が頑張ったおかげで娘に更生のきざしがみえたというところ終わっている。いわゆる「ええ話」である。
ところがその一家の人生にはその後があって、実はそんなにハッピーエンドではなかったというのが昨日の話である。内容は省略するがとにかく悲惨であった。主人公の娘は、「私は大丈夫だから」が口癖になるくらいがんばって、自ら病気と闘いながら病床の母を助け、最後には死んでいくのである。そして、その娘がグレた原因が死後にのこされたノートによって明らかにされる。
これはナラティブな探求にもあてはまるような話だなと思いながらみた。ある物語を語ったその背後には、決して語られなかったいくつもの経験がある。これは単にその人が語らないというだけではなくて、語ってもそれが聴きとってもらえないという意味で言葉にならないものである。あるいは、周囲は語られるべきことがあることがわかっていてもそれを聴くことができないというような事情もある。
ある人が語れるということが背後にもっている他者の力がよくわかる話であった。
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hideaki
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