I create you to control me
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先日の臨床心理士のワークショップで、もと中央大学の加藤さんに抜き刷りをいただく。
『反学校的な生徒文化の形成に及ぼす教師の影響:学校のあれと生徒指導の関係についての実証論文』。(財)社会安全研究財団の平成14年度優秀論文であるという。
ははあー。優秀論文などと誰かから表彰されたりしたことがないので、優秀論文などというだけで尊敬してしまう。
論文の内容のなかで印象に残ったのは、ダブルスタンダードな指導に注目して、学校が荒れたときほど、むしろ問題生徒よりも一般生徒が大事なのだという提言である。
ダブルスタンダードな指導とは、つまり学校の枠組みから完全にはずれてしまった非行化した生徒については、教師は学校に来て、学校行事に参加するだけで肯定的な反応をとるのに対して、それほど非行化が進んでいない生徒に対してはこっぴどく叱って規則を遵守させるというようなものだ。
読者のみなさんも中学生の時に経験があるのではないか?。「荒れてる子には甘く、我々には厳しい」といった批判を教員にしていたかもしれない。もちろん、「先生は大変だなー」と思った人もいるかもしれない。そういう生徒だったとしたら、あなたは教師にとっては掌握しやすい「味方」の生徒であったはずだ。しかし、中学生の年代で、荒れた生徒には学校に来ることだけでも教育的な価値がある(と、少なくとも教師は思っている。僕もそう思う)ということはなかなか理解されない。だから、「ずるいじゃん」ということになる。
加藤さんは、こうした不公平感をひきおこすがゆえに、荒れた学校ではむしろ一般生徒との人間関係をつよくもたないとますます反学校的な生徒文化がきずかれてしまうというものだ。
学校をひとつのシステムとしてみて、<荒れ>という出来事に対してシステムで対処するということを考えれば、臨床心理学がこれまでやってきた荒れをひきおこしている張本人(とされる人)への介入がいかに不毛かということがよくわかる。それを実証的に示しておられるのはすごい。
ただベテランの先生は別にそのことを知らないわけではない。わかってはいるけど止められないということもあるのだと思う。
そもそも、<荒れ>はというのは教師が完全に後手に回っていることが多い。これまで平和でたいした生徒指導的事件もおこらなかった中学校であっても、いや、そういうところの方がむしろ、突如として<荒れ>をひきおこしたりすることがあると思う。
どうしてかというと、平和な学校で築いたシステムが破綻し、新たなシステムに変化しなければならないのだが、それは一朝一夕には実現しないからである。
中学の教員というのは大なり小なりチームワークで動いている。いわばサッカーのディフェンダーのように、一人で守るのではなくて、3人、4人のバックと足並みをそろえて守るのである。このようなディフェンスはふいにサプライズな攻撃をされて足並みが崩れた時は、何人いても一人の平凡な選手の突破をまったく止められないということが起きてくる。荒れた学校もこれと同じである。
だから荒れた学校に必要なのは、問題生徒に関わることよりも、むしろ教員同士が仲良くなって、生徒との取り組み方について足並みをそろえることだろう。
スクールカウンセラーが役立てるとしたら、教師に余裕と自信をもってことにあたれるようにエンパワーするということになるだろうか。さながらピンチにタイムアウトをとるようなものである。
あ、でもサッカーにはタイムアウトないんだっけ・・・。
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hideaki
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