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2004年12月06日(月) あなたへの社会構成主義

ガーゲンの「あなたへの社会構成主義」ナカニシヤ出版を読んでいる。
このところ僕のまわりでは、相対主義、変化を求めてばかりと旗色の悪いガーゲンであるが、僕はそういう人のいうことも分かるけど、そう捨てたもんでもないんじゃないかと思う次第である。

で、この本は1999年にでた"An Invitation to Social Constructionism"の訳本ということで、ガーゲンの思考の最前線に近いところを知ることができると思う。

内容的には、社会構成主義が相対主義であるという批判に対するコメントが多かったと思う。ガーゲンは「現実が社会的に構築される」ということと、「現実は構築されたにすぎない」ということとは違うといっている。「〜すぎない」というのは僕らが読み込みすぎなのであって、社会構成主義は最初から、「社会的に構成される」ということのみをいっている。「に、すぎない」といってしまった瞬間に、「に、すぎない」ものではない何らかの真実を仮定してしまうのだ。

社会的に構成されているかもしれないが、だからといって、それぞれの人がやっていることはかけがえのないことであるには違いがない。単なる「ゲーム」にすぎないといえばそうかもしれないが、それは「真剣なゲーム」をやっていると思えばよいということなのだそうだ。

このように現実への積極的な関与とか、自らの立場への省察を含むのであれば、僕は社会構成主義についてまわる相対主義とか、なんでもありというような、いかにも無責任な人というイメージは妥当しないと思っている。ただ、社会構成主義者はときに欲がでて、「〜にすぎない」とうっかり言ってしまうことがあり、それが誤解を招いているのかもしれないなとは思う。

それから、現実への積極的な関与ということを述べ、ナラティブセラピーを例にとって現実を変革していくことを主張したとしても、社会構成主義は今ある社会的現実を相対化することが目的であって、そこから新たななにものかを作るということには関心がないのではないかと思うのだがどうであろうか。

本書にもでてくるが、マイケルホワイトは、ナラティブセラピーのなかで重要なのは、例えば「個人的失敗」という概念にあるように、さまざまなレベルで帰属できそうなシステム内の齟齬が、なぜか個人の人格的問題として語られてしまうということをとりあげて、それを相対化することだと言っている。

そして、その際に彼が注目するのは「ユニークな結果」だ。人生をみわたしてみれば、いつもいつも人は失敗しているわけでも、困難におしつぶされているわけでもない。ごくまれに例外的にもみえるような成功をおさめていることがある。つまり「ユニークな結果」をひきおこしている。ソリューションフォーカス的にいえば、こうした「すでにおこっている解決」に目を向けて、「それをひろげていく」作業をすることがナラティブセラピーの具体的な展開である。

こうした具体的な作業の指針として、社会構成主義は役にたつのであろうか?。もちろん、最初にそのような考えをしらなければそもそも相対化しようということにはならないだろうが、それ以上になにか役にたつようには思えないし、もっと別の論理にしたがっているような気がするのだが、さてどうなのであろうか。

ま、とにかく全部ちゃんと読めっちゅう話しやね。


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