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今日の講議は「心理学の資格」について。
臨床心理士でありながら、その資格を問題にするというのも自己矛盾な話だが、現在の資格のあり方が本当によい方向にむかっているのかどうか大いに疑わしい。指定校制度など特にそうだ。
まだまだ若造の僕がいうことではないが、というか、だからこそというべきか、わずか2年で資格をえて現場にでていくというのは本当に難しいことだとおもう。僕なんかいまでも危なっかしいんだから、2年間でやるなんて相当に危なっかしいわけである(もちろん、社会にでていけば、大学なんかにいるよりもずっと早く磨かれてうまくなっていくわけだけど)。
ただし、だからといってカウンセラーなんていらないといっている小沢牧子さんのように、「資格制度なんてなくてもいい」というのも違うと思う。
昔、資格ができる直前、1988年の心理臨床学会のシンポの講演録をみせてもらったことがある。文章中には、現在、臨床心理士会の重鎮になっている人たちが、真剣な議論をたたかわせていた。要は、いろいろな問題点があるのはわかっているのだが、とにかく現在の精神科医に相手にもされない状況をなんとかするためには、資格はなくてはならないという判断があったようだ。いろんなデメリットがあっても、である。
小沢さんは、資格はクライエントのためになっていないという。しかし、では資格をやめて共同体の力を復活させようといったとしても、そんな意見は説得力をもたない。問題をみつけて批判することは容易い。しかし、問題がないものなんてない。どんな立場でも問題はある。
ならば、それのなかのどの立場にコミットするのか、ということになるのだが、小沢さんの議論はコミットするという姿勢にかけている。来談者中心療法で有名なカールロジャースも資格制度には反対していた人だ。しかし、彼は同時にアメリカで資格を認めさせるためにそれこそ心血をそそいだ人でもある。一度自分が真剣になってとりくんだ結果をなげいているのだ。何もしないで資格なんかないほうがいいというのとは違う。
もちろん、どんなことでもコミットすればいいってもんではないだろう。しかし、少なくとも、問題状況をなんとかしようと思うべきだとは思うわけである。
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