2005年02月05日(土) |
「対岸の彼女」/角田光代 |
直木賞受賞作品。
女の人を区別するのは女の人だー。小さなころから人付き合いに悩んできた自分にとってはぐさりとくる一言。 そして主人公の一人・小夜子もそう。みんなが読んでいる育児雑誌を熟読し、みんなと同じ時間、同じような格好をして同じ公園に行って子供を遊ばせているのに、お母さん同士の微妙な人間関係に気づくと気が重くなり、公園渡り歩いている。子供のあかりを見ても自分に似て人間関係が下手なようでますます気が重い。ならばいっそ働いて、子供も保育園に入れたほうが友達もできるだろうし社会性も育つだろう。自分も公園の人間関係を毎日考えなくてすむ・・・と思い、小夜子が働き出すところから話はスタートします。 そして就職した会社の社長・葵は同い年で同じ大学卒なのにまるで人なつっこくて自分とは正反対の性格。よく分からないけどなんとかやっていけそうだ、と思い働き出す小夜子と、その葵の過去と話は2本立てで進んでいきます。
読みながら考えていたのは、仲間はずれにされ続けた自分の過去。反対に人なつこい今の自分の性格。いつから自分は変わったんだっけ?どうやって?そして自分の過去のそんな部分にだけフタをしていたことに気づいてとても驚き、葵と自分がすごくダブりました。筆者はきっと私みたいな思いはしたはずないのに、なぜ分かるんだろう・・・。 でも考えてみると、小学校3,4年生くらいからクラスの女子が順々に仲間はずれになっていたのだから、自分のように感じる人はいっぱいいたはず。なのに、誰もそれを(いまだに)口にしようとはしない。でも感じていたはずなんですよね、たぶん・・・でも自分もその部分だけは、まだ人と話す気にはなれませんが。
たぶん、女の人の人間関係は一生ついてまわります。わずらわしいと感じるか割り切って考え自分や子供の心を守るか、常に女性は考えながら行動せざるをえません。
途中からはらはらと泣きながら読み終えて、妙なすがすがしさと手ごたえを感じました。このテーマを書ききり、しかも最後に希望を与えた筆者は、すごい。 テーマがテーマなだけに、読む側を選ぶ本だとは思いますが・・・。
帯にある筆者の「けれど私は思うのだ。あのころのような、全身で信じられる女友達を必要なのは、大人になった今なのに、と。」の言葉が胸に残ります。
あなたは今、あの頃のような、全身で信じられる友達が、何人いますか?
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