2005年12月04日(日) |
コックと泥棒、その妻と愛人 |
確か初めて観たピーター・グリーナウェイの作品だったと思う。 1990年の作品。もう15年も前の作品かぁ! レンタルビデオで観た時は私まだ高校生か。いやはや恐ろしい。 ちゃんとこの作品の内容理解出来てたんでしょうか? やっぱりね見返してみて忘れてるところとか初めて気づくことが多かった。
この作品はグリーナウェイ作品の中でも一番ストーリーがわかりやすくて見易いんだよね。 『英国式庭園殺人事件』とか何度観ても全然わからんし(大好きだけど) 『ベイビーオブマコン』はもっとグロに走ってるし、宗教色強いし グリーナウェイ独特の美意識と宗教感、道徳観に基づく(?)エログロ描写が程よく中和されててグリーナウェイ入門編にはもってこいです。
それでも観る上では覚悟は必要だけども。 (※食事前に観るのは避けましょう!)
初めて観た当時は人間の腸になぞらえた(口から肛門まで)レストランのセットやら ゴルチェの衣装、マイケル・ナイマンの神経逆撫でサントラやら、衝撃的結末などなど 大仰な形式に目を奪われてしまっていたけれども 今回観て役者の演技がみな素晴らしい!と改めて感じました。 妻ジョージーナ役ヘレン・ミレンの垂れた尻と退廃感はいうまでも無いのですが コック役リシャール・ボーランジェの存在感(ラスト近くの”料理の値段の決め方”あたりの長セリフ!) レザボア前の泥棒手下役のティム・ロスの不適な演技も素晴らしい。 そして何といっても泥棒役のマイケル・ガンボンが凄い! 憎憎しくもおろかで時には可愛らしさまで見せるその暴君演技は一瞬一秒たりとも見逃せない細やかさで感服! マイケル・ガンボン他はどんな作品に出てるのかと思いきや最近はハリー・ポッターの校長先生だそうで…なんか凄く観てみたくなってしまったよ、ハリポタ。
こういった役者の演技や横にスクロールするカメラ、セットの作りなどからも、グリーナウェイが舞台演劇を意識しているのがようくわかります。ラストの幕引き然り。 神経症的ともいえるグリーナウェイの映画美術はグリーナウェイ作品を観る上では一番のお楽しみのひとつ。 椎名林檎嬢のシンメトリー好きはグリーナウェイからきているんですよ。へぇ〜 冒頭のトラックがシンメトリー状にとまるのもお約束。 (こうゆうの知ってると彼女のPVで苦笑禁じえません・・・) シンメトリー表現はさておき、この作品はレストランのセットが細部まで凝っていてとても見応えがある。 奥行きを意識して撮られているのでこれはテレビでの観賞はちと苦しい。 おっきいスクリーンで観たいなぁ。 あのナイマンの不気味な旋律も大音量で聴いてこそだねぇ。 マイケル・ナイマンも『ピアノ・レッスン』以降は癒し系音楽の代名詞ですがグリーナウェイとコンビ組んでた頃は「胸騒ぎする曲を作る不気味作曲家」でした。
ゴルチェの衣装は素敵だけれどもやっぱり80年代だよね。 妻がつけてる下着があの頃のマドンナのステージ衣装そのまんまでお懐かしい。 そうそうグリーナウェイの新作がオランダの画家レンブラントを題材にした「ナイトウォッチング」という作品になるそうなのだけれども、そのレンブラントの名画「夜警」の絵の登場人物が着ている服が泥棒達の衣装にそっくりなんだよね。 レストランの壁にもレンブラントの絵が飾られているし。 なんでもグリーナウェイはアムステルダムに住んでいるそうで、レンブラントがかなり好きなのかな? この「コックと…」も暗闇と光の使い方がレンブラントっぽいです。
そんなこんなで色々と見応えのある作品なわけだが ひっかかりがあるのがコックの存在です。 彼とマイケル(愛人)の関係性、なぜ妻とマイケルの逢引を手伝ったのか? (愛人と妻が接触を持つ直前に二人に同じ”特別料理”を出している) それは独身である彼の妄想を満たすためだったのか? 独身であること、泥棒との唯一対等である関係からコック=聖職者としての暗喩もあったのか? 皿洗いの少年が賛美歌を歌うところや、食材が死んだ動物を扱っていること(黒いものが高価だというくだり云々も含め)レストランが実は教会を意味していたのかもしれないなぁなんて素人考えで思った。 ラストはある意味”葬式”だし。 己の実験的創作欲を満たすべくラストまでもっていくために全てはコックの仕組んだ事だったのかもなんてことも考えてみたり。
あと最後の最後でつっこみたいところもあるけどそれは内緒で。
面白い映画です。
|