対(つい) - 2009年11月14日(土) お久しぶりです・・・って覚えてくれている方はいるのだろうか? 忙しくて何かを書いているどころではない日々だったので すっかりほっぽりぱなしでしたが、 他の方のものは折に触れて読んでおりました。 たくさんの方々の様々な日記はいつも刺激になります。 相変わらず、仕事の合間、忙しいとは言いながら この秋も色々なコンサートを聴いていますが、 印象深いのは、 クリストファー・ホグウッド指揮のN響定期での 前半:プロコフィエフ「古典交響曲」とストラヴィンスキー「プルチネルラ」という、いわゆる「古典に帰る」をスローガンとして書かれた、近代音楽でありながら古典的な装いをもつ曲と 後半:モールァルト「フリーメーソンのための葬送曲」とハイドン「交響曲第104番・ロンドン」という、これは古典中の古典の最高傑作たち。 この「古典」をキーにしたコンセプトもさることながら、 このコンセプトを、完全に音楽の「違い」として聴かせてくれた演奏者たちは本当に素晴らしかった。 練りに練った徹底した演奏。 そう、この秋はこうした「対」・・・それはコントラストであったり、共通したものがあったり、とそんな聴き方が続いて楽しかった秋。 これは個人的な興味の「対」でしかないけど、 新音楽監督アラン・ギルバートが指揮したニューヨーク・フィル公演で演奏された、このオーケストラの委嘱新作である、 マグヌス・リンドベルイ作曲の「EXPO」と 現代最高のピアニストの一人、ピエール=ロラン・エマールがリサイタルで弾いた、ジョージ・ベンジャミン作曲の「ピアノ・フィギュアズ」。 今現在活躍している作曲家の中で、最も評価も人気も高い2人の作品が 10月に日本で初演されたのが(もちろん偶然です)、 私にはすごく面白くて、 そして2つとも素晴らしい作品だったし、この2人は全然個性が違うけど、 それでも共通しているのは、簡単に言ってすごく「鮮やか」であること。 濁りなく、もってまわった晦渋さがなく、あえて言えば「わかりやすい」。 でも内容が薄いわけでもない、という流石なものだった。 続いてブラームスのヴァイオリン協奏曲。 先ほどと同じニューヨーク・フィルの公演で 現代ヴァイオリン界名手中の名手、フランク・ペーター・ツィンマーマンと、 つい先日の、トゥガン・ソヒエフ(若手きっての有望株の待望の来日でしたが、これは疑いようのない天才を見せつけた、鮮烈な日本デビューでした)が指揮したトゥールーズ・キャピトル管弦楽団の公演で わが国が誇る名手、諏訪内晶子が 相次いで名演を披露してくれた。 トータルでいえば、なんというか、もう「これは全てブラームス以外なにものでもない安定した」圧倒的な演奏でツィンマーマンに軍配が上がるだろうけど、 諏訪内さんも、音色、技術ともに完璧といっていいくらいで、 凛とした気品をもって、世界第一級といって全然おかしくない、素晴らしい演奏だった。(感謝) そして、その諏訪内さんがソヒエフ&トゥールーズ管とのもう1公演で共演したのは、彼女得意のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。 思わぬことで招待してもらって、2日とも聴けることになってしまったのだが、 実はこのブラームスとチャイコフスキーの協奏曲、同じ年(1878年)に作曲されたって知ってました? 考えてみれば2人とも19世紀ロマン派の大作曲家だし、叙情的なものを大事にする2人だけど、ドイツとロシアって違いはもとより、 この色々な意味で対照的な、そしてヴァイオリン協奏曲の王者2つが同じ年に書かれていたとは正直驚いた。 音楽に関わるものとして知らなかったのは恥ずかしいケド・・・。 でもこれって感動的だ。 ...
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