肉体に潜む記憶 - 2008年02月27日(水) 今朝、ある肉体的苦痛をきっかけに 過去の嫌な、苦しい記憶が噴出してきた。 それからの時間、 頭の中、体の中、いたるところが、どす黒どろどろとした感情に支配されてしまって仕事が手につかない。 私は小さい頃から乗り物、特に車に弱く すぐ酔ってしまうタチだった。(電車は大好きだったのに) ブランコに乗るのも苦痛だったから いわゆる三半規管が弱かったのかもしれない。 子供の時分というのは、そういうところを周囲につけこまれるもので よく無理やりブランコに乗せられて、いじめられた。 そんなだったから遠足は悲惨なもので いい思い出なんかひとつもない。 10分もバスに乗れば酔ってしまい、 吐いてしまうと私はますます気分が悪くなるタチで いつもグロッキー状態で車の中で寝ている、といった絵だった。 そのうち、遠足があると思うと1週間も前から気分が悪くなり、 行かなかったことも度々。 毎年、夏休みになると父の郷里に家族で行ったが、 新幹線もダメだった。 窓が開いて空気が吸えたらなぁ、と真剣に切望していたが そんなことできるわけもなく、 向こうの家に着くころにはやはりグロッキー、 滞在5、6日のうち、大抵最初の1、2日は寝て休んでいる という感じだった。 そういうしんどい体調の中、 田舎の広い空、真夏の入道雲、東京では見られない一面の水田、蝉しぐれ・・・ そういう自然、緑の風景には本当に慰められた。 今の自分が、緑の景色抜きじゃ元気がでないのも 散歩が好きなのも、そんな体験のせいかもしれない。 そんな状態の時、 父は「情けない。お前みたいなやつは世界に一人しかいない。本当に見苦しい」と罵り、 母は「そんな姿の子、ご近所に見せられない」とよく言っていた。 私はもちろん辛かったが、 そのうちむしろ、自分は本当にそうなのかもしれない、 と思うようになっていた。 小学校5年生の時、林間学校は軽井沢に行ったが、 特別に私は目的地へ電車で行くことを許してもらった。 もちろん、親に連れて行ってもらう、という条件で。 父に連れて行ってもらったが、特急電車というのは、やはり普通の電車とは違い (何が違うのだろう?密閉感?揺れ?椅子のクッション?) 結局酔ってしまい、 軽井沢からはタクシーでないと山荘までは行けないから それでトドメをさされた。 山荘についたら保健室に直行、ずっとそこで寝ていた。 父はまた「情けない、情けない」の連発で、とりあえず帰っていったが (また帰りには迎えに来る) 私は保健担当の女の先生に 「僕みたいなのは世界中に一人しかいないんです」と言ったら 「そういうことを自分で言うんじゃない!絶対にそういう風に思ってはいけない」 と、普段優しくて、絶対声を荒げたりしない人だったのに すごく怒鳴られた。 中学の遠足もほとんど行かなかった。 変声期も終え、少しは何かが変わってくるかと思ったが そんなこともなく、 修学旅行も奈良・京都に行ったが、 やっぱり宿舎でもバスでも寝ていて 何を見た記憶もない。 そんなこんなで、 私はこの先、ずっとこうなんだろうか? 大人になったら、 車に乗らなくていい、長距離の特急電車に乗らなくていい仕事なんか あるのだろうか? 楽しい旅行なんて一生行けないのだろうか? 私は一体、どうなるのだろう? 恐怖だった。私は何にもなれないんじゃないか。 未来がない気がした。 車のことを考えると真っ黒い気分に覆われた。 それに比べれば、テストの点が悪かった時なんかに、 「自分はまともに進学できるのか?」 というような心配をするなんてことはまったく大したことではない気がしたが、 それにしてもそういうマイナスの気分は 将来のすべてを奪ってしまうような勢いで 自分を支配していた。 そんな私に転機がおこったのは高校1年の秋。 高校入学早々にあった遠足も行かなかったし、 夏の臨海教室は、一人でトボトボ電車で行った。(これは親の付き添いはなしで) そういう私を見ていたクラスメイトたちが 何とかしてやりたい、と思ったらしい。(なんていいヤツら!) 「おいっ、みゅう太。今度の遠足は絶対一緒に行こう。 絶対楽しませてやるよ。向こうにはこんなすんげー楽しいものもあるらしいし、 今回は酔ってるヒマないさ」 なんてたくさんのやつらから口々に言われ、 そうなるとやっぱり行かないわけにはいかない。 さすがに私の気持ちの天秤も友情の方に傾く。 例によってバスに乗って私はコチコチになっていたが なるほど、みんな、私の席の周りでにぎやかに でも、あまり騒々しくならない程度に気をつかってくれながら (このへんが絶妙だった気がする) 話をし、歌を歌い、私を楽しませてくれた。 今でも思い出すが、あの時は本当に楽しかった。 そしたら、いつのまにか目的地に着いていた。 何か私は嬉しいとか何とかいうより、 「???」 不思議な気分で、 なんだか自分が自分じゃないような感覚で、 その遠足の時間を心から楽しんだ。 ところで、行ったのは三つ峠から富士山を見て、河口湖へ降りる、というコース。 帰りのバスもほとんどそんな感じだった。 その時分になって、自分が何事もなく、 非常に快適な気分でバスに乗っているということに感動していた。 考えてみると私が今、自分の40年ちょいを振り返った時、 「何かを克服したな」と思えるのは これだけだ。 あと、自信をつけた、とか一皮むけたかな、というのはいくつかある。 一つは音楽大学に入って 1年生の最初の試験。 声楽の試験で、自分のいる教育系の科の男性(20人くらいしかいないけど)の中で 一番をとれたこと。 音大に入った時、周囲はピアノでも声楽でも随分昔から本格的に取り組んでいて、 私といえば、高校3年になったときに音大受験を決め、 それからの勉強でしかなかったから、 入試には現役で受かったものの、 すごく周囲から遅れている感じがしてコンプレックスが強かったし、 ましてや声楽など(合唱は中学の時分から好きだったけど) 受験とともに初めて取り組んだようなものだったから、 1番をとれるなんて私自身ビックリだったし、 そのことで周囲の目が随分変わったような気がする。(歌ったのはヘンデル「Ah mio cor」) それでやっと自分の居場所を作れた気になれたのだ。 ・・・こうして色々書いていたら 何かを乗り越えた時の、「いい」感情を思い出してきた。 ああ、よかった。 なんか元気がでてきた。 でも、やっぱり自分の過去の鬱屈した記憶というのは 消えているわけではなく、確実に存在していて 何かの折にふと飛び出してくる可能性がある、 というのはちょっと怖い気がする。 久々に更新したというのに、 こんな文章を書いたことは自分自身イヤだし、 読んでくださる方にも悪いなぁ、という思いで一杯です。 とりあえず。 ...
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