ルツェルン・フェス その2 - 2006年10月31日(火) 全然更新もできず、すっかり時がたってしまいましたが 前回書いたルツェルン・フェスティバル、 10月18日のオーケストラ公演も行ってきました。 そう、かのポリーニとアバドの記念すべき共演の日。 あの大家2人は若い頃からの親友だから、この強力コラボレーションは ヨーロッパやアメリカでは昔から比較的お目にかかりやすいのだけど、 日本では初めて。 一度くらい聴けたらな〜、と思っていたから、望外の喜びだった。 しかもルツェルン祝祭管弦楽団という類稀なオーケストラと聴けるなんて。 それにしても、2回行って6万円強もお金をだしたコンサートは初めて(><)。 オペラなら今までにもあったけど。 でも、それだけの価値のある、一生忘れないだろう体験ができてこんなに嬉しいことはないです。彼らに感謝。 ポリーニ先生の弾いたブラームスの第2協奏曲(私の最も好きなピアノ協奏曲です)、 気高く、美しかった。 ご存知のとおり、あらゆるピアノ協奏曲の中でも最も技術的に難しいこの曲、 (難しさの方向が違うが、ラフマニノフの第3協奏曲と双璧だと思う) 部分的には絶世の技巧を誇るポリーニをもってしても難しいところがあり、 もっとも歳のせいかもしれないが、グチャグチャと乱れたところがあった。 それでも、ひとつひとつの音の美しさから始まって、オーケストラと室内楽のように音による緻密な対話が行われ、音による、まるで彫刻作品のような音楽がみるみるうちに造型されていくさまは圧倒されるというより、本当に感動的でした。 これが世界最高峰の次元の音楽! ポリーニの演奏はこういうブラームスのような曲を聴くと、特性がよりハッキリするのですが、情感で弾く、とか感傷的な甘さとはまったく無縁。 そういう次元とは違う角度から音楽をしていることが、こういう曲だと逆によくわかります。 大抵の人がため息をつくようにテンポを落としたり、ロマンティックな表情をつけそうなところでも、彼はひたすら厳しくイン・テンポで、ひとつの音もぼかすことなくクッキリカッチリと弾いて行く。 そしてそこから造型され、生まれていく類稀な美しい音楽のプロポーション。 こうして書くとえらくいかめしいガッシリとした音の建造物をイメージされるかもしれませんが、そうではなく、そこには曖昧さこそなく、明確この上ないけれど、優しく弧を描くような歌があって、何よりも音の晴れやかな透明感がより一層無用な重みから音楽を救い出していました。 そう、特にこの曲は北ドイツの憂鬱な気候で育ったブラームスが、南の国イタリアに憧れる気分が大いに反映されている曲でもあるわけだし。 しかしこういうさまを見るにつけ、ポリーニがあのミケランジュロやそういう偉大な彫刻家と同じ血をもつ、地中海の大芸術家なのだ、と痛感します。 完璧な美しさをもつ「かたち」の造型があって、そこから感情が、精神的な香りが漂ってくる。 こういうピアニストは、私は他に知らない。少なくとも彼以降、そういう「地中海・イタリア」の真髄を感じさせるピアニストは。 そうそう、第3楽章のチェロ・ソロをあの、今人気絶頂のマリオ・ブルネロが弾いたのですが(それだけで超豪華な話)、 これがまた絶品だった。 こんな素晴らしいチェロが、オケ中から聴かれていいの?って変な気分になったくらいです。 また長々書いてしまいました。 アバドの指揮について何も触れませんでしたが、 後半のブルックナーの「第4交響曲」がまた素晴らしかった。 色々なブログを読むと、彼のブルックナーには賛否両論で様々な意見があるみたいですが、 私は肯定派。 今日は時間がないので、また書きます。 ...
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