ポゴレリッチ来襲 - 2005年10月26日(水) すごい体験でした。 今、あちらこちらのサイトや掲示板で大騒ぎになっている ピアニスト、イーヴォ・ポゴレリッチの6年ぶりの来日公演。 日曜日、私もサントリーホールに行きました。 そして大変な体験をして帰ってきました。 「ポゴレリッチ」または「ポゴレリチ」と検索すれば、 先日のコンサートに行って、何らかのコメントを書いたたくさんの方々が異口同音にこう言っているのが見られる。 「どう受け取っていいかわからない体験」と。 あるところには「みんなどうしていいかわからなくて、会場中に妙な連帯感が生まれた」 というコメントがありましたが、思わず笑ってしまった。 まじ、そうだったもん。 どこにでも書いてあることなので、その日のポゴレリッチの異様な演奏について あんまり細かく書かないけど、 まずはとにかく「遅い」。 カタツムリが這うように(←これもどこかのサイトにこういう表現があった)遅い。 だって最初の曲、ショパンの「ノクターンop.62-2」、 普通5分くらいで終わる曲が10分以上。 それから次のショパン「ピアノ・ソナタ第3番」、 これは25分くらいの曲が44分もかかった!! (パンフレットに「通常の」目安時間が書かれていたことが却って苦笑) 遅い、なんて次元じゃなく、 最初のノクターンなんか、その日の曲目一覧が配布されていなかったら (曲目が当初の発表と全く変わっていたので) 何の曲だか誰もわからなかったんじゃないか? あまりの遅さにメロディーがメロディーじゃなくなって 「音符」と「音符」が点と点に分断されてしまい 次にどこの音にいくのか想像できず、 またはどこの音から来たのか思い出せないくらい。 しかも内声部(あまり表面にでてこない中埋めの音たち)が突然大きく鳴らされたりするものだからますます音楽の進行がわからなくなる。 こんななのに、ポゴレリッチの悪魔的な集中力、というか 強い力が音と音の間を支配しているものだから 会場中の人が息すらできない極限の緊張状態。 通常のコンサートよりも暗くした照明のせいもあるでしょう、 その中に何かの「深淵」をのぞいた気がしました。 ソナタでも、永遠に続くんじゃないか…と思われる果てしなく遅い時間の歩みに (「新しい時間」と言いたくなるような異様な時の流れ) さすがの私もついていけず、一体いつになったら終わるのか、と 恐怖感すら襲ってきたくらい。冷や汗すらでてきた。 ポゴレリッチは私たちの知らない全く新しい「秩序」を創っていたように思うのです。 でもあの会場の中で、誰がそれについていけたでしょうね? もしそういう人がいたら、その人はポゴレリッチと同じくこの星の人間じゃない(?)んじゃないでしょうかね。 私は(そしてこの日のサントリーホールに来た人は)まったくとてつもない、稀有の体験をしたのだと思います。 それを私はとても完全には受け入れられないし、まったく把握しきれていないことにも気づくのですけど、しかしものすごい超常的な力をもった一人の演奏家が創りあげた異常な世界がそこにあったことは紛れもない事実でした。 私はその力を否定できない。 彼はもともと特異なピアニストではあったけど (1980年のショパン・コンクールで多くの審査員から「彼の演奏はショパンじゃない」と言われ、予選落ち。それをやはりその時の審査員の一人、かのマルタ・アルゲリッチ−現代最高の女流天才ピアニスト−が怒って「だって彼は天才よ!」の一言を残し椅子を蹴って帰っていった、というエピソードがポゴレリッチを一躍スターにした。当時の優勝者よりも) 前聴いた時(7〜8年くらい前?)は今回に比べれば、まだ「普通」の世界の住人だった。 彼には何が起こったのか? しかし、彼の弾いている様子そのものはむしろ前よりも安定して見えたけど…。 でも、なにしろ今回は辛かった。肉体的にも精神的にも。 途中で気分が悪くなって(だと思います) 帰られた方が何人かいたのは納得できます。 反面、ものすごい歓声をあげていた人はタフだなあ、と感心(笑) パンフレットに、とても洞察の深いエッセイが載っていましたが 彼の演奏は、「演奏」をはるかに超えて、まさに「創造」の領域。 こういう話は私も日頃考えていることがあって、 でもとても短いスペースに書けるものではないので止めますが ポゴレリッチの存在はその点でもまったく興味の尽きない存在。 そんな体験をしながら、もう一度あの世界に身をおいてみたい、という思いが 私の中にあるのに書きながら気づいています。 ほとんど麻薬の世界ですね。(←経験ないけどね!) ...
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