ラン・ラン再び!! - 2005年05月19日(木) 3年ぶりでしょうか? ラン・ランのピアノ・リサイタルを聴いてきました。 これ、楽しみだったんですよね〜。 いや〜〜〜、素晴らしかった!! すんごい気持ちいいピアノだった!! 聴いててワクワクする。 ただ古参や厳格な音楽評論家からは賛否両論らしい。 (こういう時はあんまりその類の人に会いたくないのだが仕方なかった) 彼の指があまりにも回りすぎて、そして全然力まないですいすい弾けちゃうもんだから 深みがない、とかシューベルトはああ気楽に弾くべきではない、とか言うのですよね。 「中国」よろしく雑技団みたいだ、と言うわけ。 (みなさん、そろってその言葉を使われた) でもさ、まずは考えてみて下さい! あんな天賦の才に恵まれた演奏家がいますか? (聴いたことない方、ゴメンなさい!) もちろんもっと尊敬に値する、もっと深いところから音楽を引き出してくる演奏家は世界にいる。 数少ないまでも結構いる。 でもまずはあの巨大な能力、存在感、スターのオーラ。 どれもがケタ外れなピアニストだってことは誰にだって感じられるし、ないものねだりして「あれがない、ああするべきでない。」っていう次元じゃないと思うんですよね。つまんないよ、そんなこと言ったら。 確かに彼はそれだけの凄いものを持ったが故に、もっと先行けるだろうし行ってもらいたいな、まだ届いてないとこはあるよな、とは私も思うけど 「今」の彼の魅力がありすぎるくらいあると思うのです。 楽器を弾いてるとは思えないくらい自然にでてくる音、千万変化する音色。 (シューマンやタン・ドゥンは夢のようだった〜〜〜) そして猛烈な超絶技巧。 なのに力などどこも入っていない、流麗で美しいピアノ。 それに弾き放題、本能のままに弾いてるようで、でも曲に対して自分勝手にはならず、 決して音楽の形は崩れない。 こういったところはまるでアルゲリッチを思わせる。 あれだけ純粋に若々しさが全開に、自分の「今」を全て音楽として出しつくせる、ってのはよくよく選ばれた者だけが可能なことだと思いますね。 ところで前後しましたが 今回の曲目は彼がアメリカのカーネギーホールにデビューした時に弾いたものと同じ (CDになっている) シューマン:アベッグ変奏曲 ハイドン:ピアノソナタ ハ長調 シューベルト:さすらい人幻想曲 タン・ドウン:水彩による8つの思い出 ショパン:ノクターンop,27-2 リスト:ドン・ジョヴァンニの回想 そしてアンコールに「八十八夜」など日本のメロディーやリスト「ウィーンの夜会」、 なんとお父さんが出てきて二胡をラン・ランと共演しました。 (でもお父さん、悪いけどヘタだった…) ところでこのリサイタル、有名な例の華道家Kさんが来てました。 前の来日公演の時も来てたし、チラシにもメッセージを寄せてたから 追っかけなんでしょうね。 Kさんはど真ん中に居座っていて、 舞台で花もあげてたし、スタンディング・オベイションも何回もしてました。 そうそう来ていたお客さんの話でいえば オバサンたちが「キャ〜」とか叫びながらスタンディングしてました。 そう、ちょっと不思議だったのですが、今回のラン・ランに来てる客層が、通常のクラシック・コンサートとはあきらかに違うのですよ。 コンサートそのものは「ワールド・ピアニスト・シリーズ」という この音楽事務所が毎年組んでいる(今年はポリーニもエントリーされている) 正統そのもの、普通のピアノ・リサイタルなのに。 平たくいえばミーハーっぽいオバサンやおねえちゃんが多くて、 曲間で拍手がでなかったり、楽章の間で拍手がでたりチグハグで、 いかにもクラシック・コンサートに慣れてない、って人が多かったんですよね。 しかもケータイが鳴ったり、ガサガサ動き回ったり、ちょっと驚きでした。 別に悪いことじゃないし、いいんですけどね、 でも騒がしくはしてほしくないなあ。 ラン・ランに話を戻しますが、 プログラムを見ると彼は今、ダニエル・バレンボイムに定期的にレッスンを受けているとのこと。 チャイコフスキーの協奏曲をレコーディングした時の縁じゃないかと思うのですが (オケはシカゴ交響楽団) 彼に指導を受けているのなら、今後ますます音楽の王道をいく姿勢を見につけられるだろうな、とちょっと頼もしく思えました。 ホント、楽しみなピアニストです。 ...
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