N響の「ミサ・ソレムニス」 - 2005年04月19日(火) 先週は素晴らしい、という以上に 全身的な深い体験をした、 と言い方をした方がいいだろうコンサートに2つも出会いました。 「武満徹-マイ・ウェイ・オブ・ライフ」という舞台上演と 準メルクル指揮NHK交響楽団定期公演での ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」。 武満徹のコンサートの方が先なのだが、 何か頭の中がうまくまとまらないので (まとまんなくても、たかが日記、書いちゃえ!とも思ったのだが、やっぱり自分で納得がいかない) N響の方を先に。 前から何度も書いているように 準メルクルは若手の中で、私のすごく好きな指揮者のひとり。 彼の初来日をたまたまもらった招待状で聴くことになり、 その時言いも得ない感動を受けてから以来、メルクルの指揮するコンサートはずっと聴きに行っている。 最近は、新国立劇場の世界に誇る一大プロジェクト、ワーグナー「ニーベルングの指環」を4年間指揮した人物として名高いのかも。 約1年ぶりに聴いたメルクルも少しずつ変わってきたな、と思う。 正確でシャープな指揮で音を扱うことや、 オーケストラを強いエネルギーや統率力で引っ張ることや 優しい風情を漂わせながら澄みきった音楽を響かせることは変わらないけど それが随分、外へ外へと発散するよりは随分内的になってきた感じ、 というか、曲が宗教的なものだったせいか、地味なものになってきた気がする。 もっともN響も、う〜ん、新らしい音楽監督を迎える前に私が心配していた懸念、 トレーニングが行き届いていないような感じ、 なんだかアンサンブルにほころびが生じ、輝きがなくなってきているような気がするのは気のせい? それのせいなのか、メルクルが変わってきたのか、 かつて感じていた彼が指揮している時特有の燦然と輝く感じとか みずみずしさが随分後退したような…。 N響の演奏する「ミサ・ソレムニス」といえば 7〜8年前くらいだろうか、 先日ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を振って素晴らしい演奏をした ヘルベルト・ブロムシュテットの指揮で聴いたものが 私には強い印象を残していて、 今回の「ミサ…」はあの時の立派な演奏には及ばないなぁ、と思う。 にもかかわらず!なのだけど。 その7〜8年前に聴いたその立派な演奏よりも 今回の方がずっとベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」の音楽そのものを 味わえたのだ。私には。 なんだか矛盾してるけど。 このベートーヴェン晩年の、あの「第9」と並び立つこの大曲は、 「第9」もそうだが、 「英雄」「運命」「田園」交響曲、 ピアノソナタでいえば「ワルトシュタイン」や「熱情」 弦楽四重奏曲でいえば「ラズモフスキー」の3曲など、 壮年期のベートーヴェンの創作とは大いに変わり、 「英雄的」な音楽を書いていたベートーヴェンが 「宗教的」な作風で、心の内へ内へと書いていくようになった末の典型的な音楽。 この「ミサ」を作曲し始める前、 1810年代の終わり頃、となるが、 ベートーヴェンは2度目(?)の人生の危機を迎えていて (1度目は、あの聴覚を失い「ハイリゲンシュタットの遺書」というのを書いた若い頃) 簡単に言って、何にも書けなくなった時期があった。 私はあんまり伝記的なことを詳細に勉強していないのだが、 交響曲も「第7」「第8」を書いてから、「第9」までの間に10年もの空白があるし、 ピアノソナタも巨大な「第23番・熱情」(作品番号にして57)を書いてから、「テレーゼ」や「告別」など比較的小柄なソナタを時折書くものの、「第28番」(作品番号101)の晩年の後期ソナタ群とよばれるところまで、こんなにもポツポツとしか主要な曲がない。 弦楽四重奏でも同じような様子が見える。 あのベートーヴェンにもスランプ、というか 落ち込みに落ち込んでいた時期があるのだ。 (この頃、可愛がっていた甥っ子が自殺する、という大事件も輪をかける) 「ミサ…」を書き出すのはそれが回復に向かっているころだったらしい。 そして「ミサ…」と同時に「第9」が手掛けられ、 最後の3つのピアノソナタが手掛けられ、 強烈な光に突き動かされての雪どけが起こった如く、 ベートーヴェンは甦っていった。 結局、「ミサ…」の完成が一番遅くなったくらいなのだ。 その中身−− あの壮麗な「キリエ」、 若い頃に戻ったか、と思わせるような爆発的歓喜に包まれた「グローリア」、 また「グロリア」よりもう一段熱狂が深まったような「クレド」、 一転して静かで瞑想的な「ベネディクトゥス」、 そして不安から平和への祈りへ転じていく「アニュス・デイ」…。 (後に行くにつれて音楽は暗く、重くなってくる。私の隣の方に座っていた小学生?は最初こそはしゃいでいたが、そのうち寝てしまった…) 基本的な構成は、カトリックのミサ曲そのものだが、 昔から多くの人が言うように、ここから響く中身はもうそれ以前の バッハやヘンデルやハイドン、モーツァルトのものからすら 遠い遠い、言ってみれば「普通に生きる一般の人間」が書くミサ曲になっている。 昔、初めて聴いた時、 「これのどこがミサ曲なんだ!?」と思ったくらいだ。 しかし、とにもかくにも、一度どん底まで落ち込んだ人間が、こんなに巨大で深い祈りが吹き上げてくるような「ミサ曲」を書く! 私はまずそれに感動、である。 それから最後の「アニュス・デイ」。 これが何といっても「ミサ・ソレムニス」全体の眼目、というか特異な部分で 最初、「アニュス・デイ…云々 ミゼレーレ…云々」 (神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、われらをあわれみたまえ。われらに平安を与えたまえ) と歌手と合唱が暗く静かに歌われた後、 急に雲が晴れ、光がさしてきた如く「パーチェム、パーチェム(平和を)」と 8分の6拍子のゆりかごが揺れるようなリズムの合唱が始まる。 (ここは「田園」交響曲のフィナーレのようだ) 特異なのはその後。 その「パーチェム…」がひとしきり終わった後、 急にティンパニが不気味に轟き、進軍ラッパのトランペットが鳴り響く。 これは間違いなく、戦争の暗示である。 この頃、知っての通り、ナポレオンはじめ、ヨーロッパは戦争の傷跡からまだ癒えてなく、 まだ血が流されるのではないか、という不穏な空気が充満していた頃である。 芸術家はいつの時代も、その生きている「今」の空気に敏感なものだと思うが、 ベートーヴェンもそうだったのだ、と強く感じないではいられない。 私は、音楽史として言ってるんじゃなくて、 この音楽、「ミサ・ソレムニス」の「アニュス・デイ」を聴くたびに ベートーヴェンの弱く、怯えた心を思い震えてしまうのだ。 自分で「ミサ曲」という強い信仰の音楽を書きながら、 しかもあの強い音楽をたくさん書いたベートーヴェンが 自分の気持ちを信じられなく、 こんなにも正直に弱さをさらけだしている…。 しかし、ここでもう一度ベートーヴェンは祈る。 「パーチェム、パーチェム…」 彼は屈しない。 戦争という、人間が人間を傷つける恐ろしいもの、 自分自身の弱さをも乗り越えて、それでも強く歩こうと音楽を書く。 私はまたも感動しないではいられない。 「ミサ・ソレムニス」はそういう心の軌跡が刻印された音楽だと思う。 準メルクルとN響はそれを改めて、 というかより一層強いメッセージを持って 私を包んでくれた。 特にその「アニュス・デイ」での 不安から「パーチェム・・・」への移行、 また、そこから戦争の予感のラッパへの移行、 そこからまた希望へと戻って行く移行、 そういう移り変わりの部分で、メルクルが慎重に丁寧に、 そして的確に音楽を扱おうとする真摯なところが 強く印象に残る。 数日たった今でも、その心の震えがおさまらないでいる。 ...
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