はじめてのヨーロッパ 〜その20 最終回 - 2003年05月23日(金) 私のヨーロッパでの最後の晩である。 Uと夕食を食べにいった。 本当はさる有名なレストランに行こう、と言っていたのだが、日本を出発する矢先に同僚のイノシシ女(猪突猛進な性格の女なのだ。)から「絶対このレストランに行け!」というゴリ押しがあった。 Uと「行かないと後々責められるぜ。」と話し、その「グリーヒェンバイスル」という古いレストランへ行った。 ここが素晴らしかったのだ! ものすごい古いところなのだが、その古さは伊達でなく(何年創立かはよくわからなかったのだが)スゴイそれこそ歴史上の偉人たちが来店していてそのサインが飾ってある。 音楽家でいえばまずR.シュトラウスのがあったし、指揮者のカラヤンやベーム、ムーティなどがあったのだが、一番驚いたのはあの「トム・ソーヤー」の文豪マーク・トゥエ−ンのがあったことだ。 薄暗く、ろうそくなんかがいっぱい立っている雰囲気のある中にそれらは飾ってあった。 料理はなんだか色んなものを頼んだので忘れてしまったが(Uがやたら注文するもので) どれもすごく美味しくて「いや、大当たりじゃないか。」と言い合って楽しい時間だった。 私は酒があまり飲めないが、ここのピルゼン・ビールがとにかく美味しかったことは今でもはっきり覚えている。 それとデザートに頼んだザッハートルテが、なんというか品格ある美味しさというか、 「これは絶対普通の砂糖じゃねーぞ。」などとお互いに驚いた。 ザッハートルテの本家はホテル・ザッハーだが、これは青山にも店があって食べたことはあるが、こんなに美味しくなかった。 それとコーヒーもメランジェ(ウィンナ・コーヒーとカフェオレの中間みたいなやつ。ちなみにウィーンではウィンナコーヒーなどというものは存在しないことがわかった。) がなんとも品が良い。 そんなこんなでUとお互いにそれまで見聞してきたことを話し合ったが、 楽しい夜だった。 満足、満足。 さてこれで本当に「はじめてのヨーロッパ」旅行は終わりである。 最初はどうなることか、とビビリまくりだった旅行で気苦労しっぱなしだった気分も今は全く楽しい気持ちにすりかわってしまっている。 人間とはこうしたもの。 ところでUはウィーンにかつて彼が担当した合唱団の友達と遊んでいく、ということで翌朝再び別れた。 帰り、ウィーン空港からまたア○ロ・フロートかぁ…とちょっと気が重くはなったが、ロビーで朝日新聞を見つけ、「おう、日本語の読み物だ〜」と嬉しくなった。 またモスクワで乗り換えで、そこまでの機体は行き以上に汚く狭く、機内食も最悪だったが、モスクワからはなんとエアバス・タイプの最新鋭機がきて、広いしキレイでテレビもついてるし快適そのものだった。 そうそう、モスクワ空港ではまたもJAのツアーと遭遇し、彼らは声をかけても「何だ、この人?」みたいにおびえた顔をして何十人で固まってしまうのだ。 日本民族の不思議な一面を見た気分。 それから機内では以前過去日記で書いたようにロシア文学者の亀山先生と出会い、楽しくお話をして過ごしたのだ。 その詳しいことはもう繰り返さないが。 成田に到着し、飛行機の車輪が滑走路に降り立った時の嬉しかったこと! その振動がそのまま心の震えとなったその時の気分は未だに忘れない。 (大げさだが)よく帰ってこれたなー、と感激した。 ついでにJAの方々が大拍手をして「バンザーイ!」と叫んでいた異様な光景もよく覚えている。 成田空港にアーティストを迎えに来ることはそれまで数限りなくあったが、自分がそのゲートからでるのは初めてだ。 むこうのイミグレーションに比べて日本って厳しくないんだな〜、と思った。 そしてゲートをでてももちろん迎えはない。 久々の日本は暑かった。 そして湿度が高い。 成田エクスプレスのホームに行くまでのちょっとの時間でも外にいるのが嫌だったくらいだ。(35度くらいあった。8月あたまだったからね。) 不思議なことで、その後も外国から帰ってくると思うことだが、それまで自由でオ−プンになっていた自分の気持ちが成田で電車にのると同時に窮屈なものになるのだ。 周りの視線が気になったり。 自分の国なのに好きな国なのに、そういうのは嫌だ。 この自分的には波乱万丈だったはじめての外国旅行。 その旅行記は今日で終わりです。 私の人生にとってかけがえのない思い出であり、今の自分はこの時にかなりの部分方向づけられた気がするのです。 《おわり》 追記: もちろん日記が終わりなのではないっすよ〜〜! でも長々と(20回も!)読んでいただきまして、本当に有難うございました。 また次回からもよろしくお願いしますっ ...
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