ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

恐ろしい時代 - 2003年04月08日(火)

昨日の朝日新聞夕刊を見ていると、文化欄に「没後50年−スターリン学」という記事が載っているのが目に入りました。
執筆しているのはロシア文学を研究している亀山郁夫さん。
昨年、「磔のロシア−スターリンと芸術家たち」という本で大沸次郎賞を受賞された方です。

私は随分前この亀山さんと偶然お会いする機会があり、知り合いになった。
とは言っても、もうこの数年は全くお会いしていませんが。

丁度10年前の夏、私は初めてヨーロッパ(というか外国)を旅行したのですが…
いや〜、思い出すとあれはビクビク旅行でしたよ。
なにしろ英語もほとんど喋れないあの頃、いきなりドイツに置き去りにされて2週間、帰りの飛行機に乗るウィーンまで一人旅を強いられて…。
でも大変だったけど楽しかったな。

ま、それはともかくウィーンからアエロ●ロート航空に搭乗し(超貧乏でしたからね。ここだと夏のシーズン真っ盛りでも往復30万くらいですんだ。ただこの値段ですからね、乗り心地は推して知るべし。)、モスクワで乗り換えた時にそこから乗ってこられて偶然隣に座られたのが亀山さんだった。
私は当時亀山さんのことなど不覚にして全然知らず、もちろん顔も知らなかったので別に話しかけもしなかったのだが、彼の方から「どこを旅行されたんですか?」「どこが楽しかったですか?」と気さくに話しかけてくれました。

そんな感じで結構はずんだ会話をしていたところ、「自分はこれこれこういう者で、NHKテレビのロシア語講座で講師なんかをしていてロシアの音楽家なんかのことも研究してるんですよ。」と言われ「え〜!そんな偉い方だったんですか? 実は私は東京でコンサート・マネジメントの仕事をしてるんです。」などということになり、更に話が盛り上がりました。
そのうち「いやー、モスクワの女の子はね、世界で一番カワイイんですよ。」なんて話にもなったけど。

昨日のその亀山さんの記事ですが、スターリン時代のロシア(ソ連ですね。)。
一応大雑把な知識だけはあるつもりだが、やっぱり恐怖だ。
個人の自由などまったくなく、恐怖と妄想に縛られた時代。
自分の一挙一動が見張られ、何か国家に逆らう言動が見つかればあっという間に粛清。
死ななくても流刑地送り。
考えてみれば戦前、戦中の日本もそうだった。
およそ今からは信じられない時代。

そんな時代、芸術家は自分の良心と、生き延びることの狭間で必死に戦っていた。
今の私たちには想像もつかない。
ほんの想像くらいはつくかもしれないが、やはりそれはあくまで想像。

私の日記には何故か今までよく作曲家ショスタコーヴィチの名がでてくるが、彼もそのソ連の中で恐怖におののきながら、しかし自分を貫き音楽を書くことで戦った一人。
亀山さんの文章にもでてくるが、ショスタコーヴィチやプロコフィエフ、映画監督でいえばエイゼンシュタインなんかの「創作」は、まさに全体主義の旗頭スターリンとの「対話」だったのではあるまいか?
そしてそのために、いやそうだったから?彼らの表現には本音を隠した「ふざけた笑い?」「アイロニー?」などの一筋縄ではいかない音楽上の「言葉使い」を生み出していったのだと思う。

亀山さんはなおも続ける。
今の時代、インターネットやケータイによるコミュニケーションの発達というのは、逆に人を縛ってやしないか?
いつも隣人に見張られてるようなものではないか? スターリン時代のロシア、かつての特高がいた日本のように。

まあ、こういうツールをどう使うかは個人がどう使うか、だからそこまで…とは思うけど。
でも考えてみると、私なんかもケータイを持つ前は首輪を付けられた犬みたいでイヤだ、とか思ってたよな。
こんな私が今ネットの間を走り回って、このような日記を書くに至ったんだから不思議なものだ。

とにかく、今は楽しく生きていけることができるんだ。
嬉しい。(^○^)

・・・呑気かな?


...




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