あおい世界
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2011年04月08日(金) 実家にて17日目〜最大余震〜。

このところ余震の回数が減ってきているし、
震度も小さくなってきているので、
昨夜は、いつにも増して穏やかな気持ちで眠りにつきました。

深い眠りに入った頃でしょうか、
夜11時32分。
最初カタカタという小さな揺れから始まり、
また(小さな)余震かなと思う間もなく、
一息つくかのように大きく長く(感じるほど)揺れました。
携帯電話の緊急地震警報は、その一息ついたときに鳴ったような気がします。

桜は咄嗟に布団を被り、桃も同じようにしながら怖いぃーって叫んでました。
あたしは携帯を握り締め、桜と桃の安全を確認し、
揺れがおさまってから、別室で寝ている母の元へ。

父が亡くなってからずっと、
居間のソファでテレビを見ながら寝ている母は、
テーブルの下に入っていました。
見ていたテレビはすぐ地震情報に切り替わったので、
あたしも震えながら一緒に見ました。

宮城県沖
M7.1
震度6強

幸い、沿岸部の津波は小さく、被害はなかったようですが、
あたしの震えと動悸は治まりませんでした。

なぜ、なぜなの。
問える相手がいるなら、そう問いたい。
いつまで続くのか。
いつになったら終わるのか。

何度か寝室に様子を見に行くと、
桜は被った布団を元に戻し、すやすや爆睡。
桃は目を開けたまま天井を見ています。
母が用意してくれた防空頭巾(最近桃のお守り代わり)を被ったものの、
ベッドから出てこようとはしません。
あたしは何度かテレビを見に居間と寝室を行ったり来たりしたものの、
起きてこない桃が心配だったので、再び寝室へ。
その頃には桃も防空頭巾のおかげでか、すやすや眠り始めていました。

あたしも寝なくちゃ。
そう思い、ベッドに入っても動悸が治まらず眠れません。
何度かあった小さな余震に怯えつつ、朝を迎えました。


今日はあの巨大地震からちょうど4週間なんですね。
朝、桜と桃は心配するほどは怯えていませんでしたが、あたしは駄目。
震えや動悸が治まらないまま、朝食を無理矢理口に入れ、会社へ。

会社でも気持ちが沈んで、恐怖心に覆われたまま。
ちょっとした物音にも過敏に反応してしまう状態。
お弁当も食べる気にならないのですが、
いつ何が起こるか分からないと思い、
物理的に口に押し込むという感じでやっとやっと食べました。


ライフラインは、実家も会社も何も問題はありませんでしたが、
市内は地域によって水や電気、ガスに影響の出たところがありました。
兄貴宅は水と電気が止まり、ガスだけ使えるとのこと。

間もなく自宅に帰ろうと思っていた矢先に、
またこんなに大きな余震が起こるなんて。
最大余震だと報じられていますが、
本当にこれ以上の余震はないのでしょうか。

被災地の人や、家族を亡くした人たちに比べたら、
揺れの恐怖だけなのに、あたしは怖くて怖くて怖くて怖くて…。
会社へ向かう車を運転中とか、
味わうことのできないお弁当を食べながら、泣きました。
涙が出てどうしようもなかったんです。
精神的に辛いって、みんなが言っていることです。
早く早く早く治まって欲しい。
早く復興にだけ目を向けていきたい。
これではやっと復旧したものが、また壊れたり止まったりして足踏み状態です。
どうかお願いです。
早く治まってください。


夕方、自宅に行ってみると、
母たちが日中来てくれたようで、
地震で壊れた額のガラスとか、
棚から落ちたものを拾ってくれていたりしたようです。
それから、実家で食べればいいと思っていたヒロミ姉からの救援物資の食べ物類とか、
あたしが会社から頂いた冷凍食品とかを運んできてくれたようです。
……感謝感謝。

日中、夜までずっと余震らしいものはなく、
四人でいると楽しくて安心していられることをかみ締めつつ、
不安ながらも、やはり元の生活に戻らなくてはと思ったりしつつ、
ベッドに入りました。
今夜はこのまま余震が起こりませんように。


あおい雪  DiaryINDEXpastwillMAIL

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