あおい世界
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2008年04月05日(土) 伯父さまの最期。

それは突然でした。
しかし長年、癌と闘い続けていたことを思えば、
それは突然というわけではない事態。
入退院を繰り返し、あっちこっちに転移するたび、
淡々と克服してきたような伯父でしたが、
二日前、お見舞いに行った母には、
とても弱気なことを言っていたそうです。

昨夜、危篤状態に陥ったものの、
透析のおかげなのか峠を越えたと言うので、
今朝早く、桜と桃を連れて病院へ行きました。
昨夜も遅くまで居たという母も、父と一緒に来ていました。

病室に入るなり、すぐにあたしたちのことが分かった様子。
その目は、昨日、危篤状態だったとは思えないほど。
1週間ほど前、腸閉塞で入院したのですが、
腹水のため、パンパンに腫れていたという腹部や、
むくんでいた顔はおさまった後らしく、
ますます痩せた伯父さまが横になっていました。

ベッドの脇に立つあたしたち三人と、一人一人握手をしました。
そして、妹であるあたしの母に指示を出し、
用意していてくれた小銭を桜と桃へ。
それは1,000円ほどの小銭ですが、自分の手から渡したいと、
来たときのために用意しておいたそうです。

途中、看護士の方がいらして冗談を言い合うほどしっかりしていました。
しかし、その声は聞き取れないほど小さくてかすれていましたけど、
時々聞こえる声と、雰囲気とジェスチャーで、
その愛嬌が伝わってくるのです。
長居しても疲れさせるだけだろうし、
遠方に住む息子も到着したばかりだったので、
我が家と両親は病室を後にしました。
そのときも、ちゃんと目を見て、手を振ってくれた伯父さま。
また来るね、って言ったのに。
行けないままになってしまいました。。。

峠を越えて、このまま回復するように見えたのですが、
回復の見込みはなかったそうです。
でも、意識がきちんとしているときに会えて良かった。
幸い明日も日曜日なので、また行ってみようと思っていたのに。。。

夜また危篤状態になったとのこと。
20時39分。
伯父さま、永眠。
伯父さまとはもう会えなくなってしまいました。

あたしが離婚し、公営住宅に入るとき、
風呂釜業者を紹介してくれたのは伯父さまでした。
伯父さまの自宅に近い今の会社に勤め出してからは、
時々、果物や魚などを届けてくれました。
あたしが桜と桃を連れて、伯父さまの家へ行くと、
いつもいつもニコニコ笑顔で迎えてくれました。
たくさん話をしてくれました。

伯母さまと仲が良くて、いつも一緒。
ここ数年はお互いに病院めぐりばかりだと笑っていたのに。
年末、挨拶に行ったときは元気そうだったのに。
もう会えない。

でも、もう苦しくないね。
長い間、心身共に苦しかったはずだものね。
伯父さま、安らかにお眠りください。
今までありがとうございました。
涙が止まらない。


あおい雪  DiaryINDEXpastwillMAIL

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