あおい世界
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今日は大好きだった祖母のことを記します。 祖母の母親はいわゆる二号さんで、祖母は兄弟姉妹もいない母子家庭でした。 父親にあたる方は裕福で、祖母は書や歌を習わせていただけたらしく、 とても達筆な字を書いていました。
離れて暮らしているとき、幼いあたしと手紙をやりとりしていましたが、 達筆すぎる字はミミズが張っているようにしか見えず、 毎回、母に音読してもらった記憶があります。
祖母は江戸っ子なので東京で一度結婚したものの、 病のため相手に先立たれてしまいました。 息子と二人きりになったあと、人の紹介で、 “子供好きな人がいるから、たくさん子供を産める人” という変な条件に当てはまってしまい、仙台へ来ることになったのです。
そして二人の男の子と三人の女の子をもうけました。 昔のことなので、そのうち二人の女の子は幼いうちに他界してしまい、 残った女の子があたしの母です。
残念ながら子供好きのその相手も、四人の子を残して戦争に倒れました。
結局、祖母は子供四人を女手一人で育てることになったのです。 広瀬川でボート貸し業をしたり、看護婦の資格があったのか、なかったのか、 普通の人が嫌がる、結核患者の看護をしたりしたそうです。 このとき覚えたのが、煙草。 煙草を噴かしていれば結核にならないという噂があったそうで、 その後ずっと吸い続けていた祖母。
小じゃれたことも大好きで、 あたしが二十歳の頃、友人と祖母との三人で出掛けたとき、
お茶を飲もう♪
と言う祖母に、あたしと友人が何度も遠慮していると、
トイレに行きたいから、こっち来て。
と通りすがりの喫茶店にどんどん入って行きました。 もちろんトイレにも入りたかったようですが、 あたしたちにご馳走をすること、それが狙いだったのです。
大好きな祖母。 今は居ない祖母。 あなたと同じ、母子家庭になってしまいました。 でも、あなたの血を引いているから大丈夫。 何もしなくていい、空から、ただ見守っていてくださいね。
この祖母と同じように、母には、 桜と桃に“おばあちゃん”の姿をしっかり教えてあげて欲しいのです。 こんな風に、年老いていくものなんだということを、 無言で教えてくれるのは身内にいる大好きな祖父母だと思うからです。
ゆっくり小さくなって、ゆっくりのろくなって、ゆっくりぼけていって、 ゆっくりゆっくり教えるためには、まだまだ生きていてください。
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