sasakiの日記
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稲村さんから百章最後のアルバムをもらった。もらったでいいのかなあ?配布と言うのが近いニュアンスで、ジャケットが非常に不思議な配色になっている。面が百章を組んだころのモイワ山にある寺、墓場を撮影場所に選んで撮ったもので、多分何か使用目的があった。冗談でジャケット撮影でもしようか?と言うのりだったような気がするけどもうはっきりしない。 コーヤが編んだ長いマフラーをみんなで巻きつけ夫々があらぬ方向を見ている。ある意味、この写真はこのバンドの志向性を表していて、図らずもいい写真になっている。このモノクロな写真に青々としたカラーの空が流れている。みんな遅かれ早かれ空に昇っていくのだということを暗示してる興味深いレイアウトになっている。で、裏面に当時NHKのテレビに出たときの写真が綺麗に写っている。相変わらずみんな着ているものがバラバラでぼくはマージビート野郎みたいにキノコ頭だ。稲村さんはカナダの山奥のきこりみたいだし、伴は街を歩いていたらたまたま招集かかってとりあえず家にあるものを着てきましたで、コーヤは長い髪でまるでロッカー。 まあ、そういったバンドそのまま。 ラインナップは全10曲。1〜7曲目までがNHKのスタジオで録音を撮ってもらったもので一発録り。8〜9曲目が最新の曲、そして最後の曲が最初の「VOL1 CHAP100」に入りきらなかった(古い街)となっている。どう転がっても非売品。泣き叫ぼうが非売品なのだ。 1971年のバンドの音。 下手は下手なんだけど、ひたすら稲村さんの足を寄ってたかって引っ張り倒しているんだけど、奇妙なことに百章というバンドのサウンドに満ち満ち溢れている。下手なんだけどアマチュアぽくないのだ。つくづく、東京に住んでいたらなあ、などと妄想が広がる。 初めてコーヤのベースを聞いてみて(バンドやってるころはコーヤがどんなベースを弾いているのか、どんなことをやっているのか良く聞こえなかった。みんな自分のことで忙しくて。)思ったことは、とってもアナーキーなべしストだったんだと言うことだった。不思議なベースライン。稲村さん以外はみんな不思議なラインを吹いたり弾いたりしていた。音楽の知識の圧倒的欠如といってしまえばまあ、大よそそれで話を終えることが出来るんだけど、4人になって音楽になると総簡単に結論付けることが出来ないほど面白い。百章というバンドは4人で完結していたことがよくわかる。 もう古い話になったのでこれはこれでバンドの中だけで振り返ることでいいのかもしれない。どう転がっても非売品、鳴こうが叫ぼうが非売品。 これでいいのだ。 それにしても面白いバンドだ。いなむら一志はえらい。
2回連続で聴いたら人がいなくなるということがしみじみ実家された。
明日、三角山なんだけど、どうしようか考えている。
さて、カレー食いに行こうっと。 クロックにするかミルチにするか。
本屋に行ったら小林多喜二の蟹工船が平積みされていた。どうも今人気らしい。世のなかよくわからんので買った。どうなって居るんだろう?蟹工船だよ、蟹工船あのプロレタリア文学だよ!この世の中、気に入らない人がたくさん集まりだしたか。なんかごつごつとした文章で、どうも今の時代の対極にいるみたい。
sasaki
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