sasakiの日記
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作詞ノートに好きだったと思われる詩が書いてあった。 前頁には2編金子光晴の詩が写し書きされていて出典もきちんと書かれているのだが、この「しあわせについてー旧友Sに」については何も書かれていない。多分、金子光晴のものだと思われる。 しあわせについてー旧友Sに
花でむれ返った部屋にいると胸苦しくなるように 幸せが禁物の人がいる 心がもとめるしあわせなんて、ほんのわずかなもので、 荷物になるほどのしあわせは、もはや、しあわせとはいえないのに 。 しあわせのアレルギー看者たちは、おおむね うすぐらい小部屋の隅で、要慎ぶかく、じぶんのふしあわせを まもって、じっとしている 窓の外の張り出しで、風雨にさらされた土鉢と、きりぎりす籠。 ふしあわせが生んだしほたれた風景の中で ある日、ふしあわせ同士がめぐりあい、そのふたりが夫婦になったが、 それはなんのふしぎでもない。
荒芒とひろがるふしあわせを埋めつくすほどのしあわせが、世に ある筈がないとおもったからだが。 爪の垢ほどの彼らのしあわせが、あろうことか、月や星よりも きらきらとかがやきだそうとは。
ラングストン=ヒューズが好きだったときがある。 多分、誰かの受け売りのような気がする。 ノートに書き写しているところを見ると好きだったのだろう。
十字架
ぼくのおやじは白人のおやじ ぼくのおふくろはくろんぼう ぼくが白人のおやじを呪うというと その呪いのやつはぼくにはねかえってくる くろんぼのおふくろを呪って くたばっちまえとねがってみても そんなひどいねがいじゃかわいそう いまじゃおふくろの幸福をねがってる ぼくのおやじはすごいおやしきで死んだ ぼくのおふくろは掘っ立て小屋で死んだ ぼくは一体どこで死ぬんだ 白くも黒もないこのぼくは
このノートの最後に
山木君が酒を飲みに行こうとして、友達の藤田君を誘ったところ、野球をやって球を顔でうけてしまい、血だらけになって救急車に運ばれ、今寝ているところだと言われ、見送りになり、次にぼくを誘ったところぼくも急性の胃炎でねており、彼は怖くなり、その日は家から一歩も出ず、布団をかぶってねたそうです。
藤田君に野球チームのメンバー、果物籠か何か持って見舞いに北かどうか聞いたところ、ひとりだけだったそうな。それもぶらっと入ってきて蝿叩きとお椀を持ってきたそうです。そのハエ叩きとおわんの由来を聞いたらーハエ叩きは、暇になっているだろうと思い暇つぶしに、おわんはーもう、球は追わんという。とてもくだらない話。
と書いてある。なんだかとても古い頃の話だ。 急性の胃炎のことは良く憶えている。 コンサートを始めて飛ばしてしまったときのことだから80年頃だろう。 何でも書いておくのはいいのかも?
その、山木君は明日、新札幌のサンピアザ劇場でライブです。 先月ぼくがやったところ。 佐々木、山木、すずきの順でやる、シーリーズ物の第2弾目です。 明日、三角山終わってから見に行こうと思ってる。 みんなで山木君の偉大なおっさん振りを見に行こう。 ほんとに格好いいから。
藻岩山はもしかすると冬のほうが圧倒的に登りやすいかもしれない。 ガレ場はないし、倒木も気にならないし、ただ登ることだけに専念できると言うのは楽なのだ。 そうなんだけど、ほんの少しの間で体力は激減していることに気づかされる。この年になると、なんだって毎日の精進が大事。 アイゼンももう少し歯先の短い奴のほうがいい。歩くたびに土踏まず健康法みたいになって辛い。次はこの間買った鋲の奴を試してみる。
今日は猫の日らしい。 べつにどうと言うことはない。 2月22日、だからニャンにゃンにゃンだと。 あのね?こういうことを考えて社会に啓蒙しようとする人出てきて、きちんと説明しなさい。くだらなよ、ほんとに。日本政府みたいじゃないか? まったく。
今日もまた途中で消えてしまい、一瞬閉じてしまおうかと思ったんだけど、昨日の今日だしなあ、もう、3時間以上ここに座って打っている。 ノスタルジア’70というドラマを始めたんだけど、消えたと言うことはまだ時期じゃないんだと勝手に解釈して、暫く止すことにした。 ウウーーーン、疲れた。 松が遊べと騒いでいるので命令に従うことにする。
sasaki
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