sasakiの日記
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仁木さんの居場所を徹に聞こうとしたら、徹はのやでライブをやっていて携帯を開こうとしない。遅くにかかって来て、今打ち上げの真っ最中なのでのやに来ないかといわれた。人の打ち上げに参加するのもどうかと思ったけど、とても暇だったので行くことにした。途中、買ったばかりの演歌、聴きながら夜の街を走ってい行ったら、たまんなかった。 このところ、どうしても演歌が聞きたくって聞きたくってたまらず、昼にコチャンフォーに行って2枚買ってきたばかりだったので聞くチャンスを捜していた所だった。夜のネオンに舟歌、車のテールランプ見ながら天城越え、創成川を横目に見て人生いろいろ。真面目に真面目に聞いてみたら、本当に真面目な日本が見えてきて、喉の奥が熱くなって、日本が壊れたのは演歌が衰退したからなんじゃないのだろうか?と、真面目な感想まで持って、僕は深く深く日々を反省した。大作曲家が歌を書き、大作詞家がものすごい詩を書き、一番歌の上手い人たちがそれを歌う。この間までクラシックを聞いていて、どこかフィットしない部分を感じながら、ここに来たらあまりにもシンクロしてしまって、長いこと出来るだけ側に寄らないようにしていた、禁断の世界に入ってみると、子どものころに帰ってしまっていいた。もちろん洋楽は途中から入ってきたもので、その前には日本には流行歌しかなかった。底に足の着かない世界だとは夢にも思わず、ただひたすらアメリカばかり見続けてきた。服を着るように着てきたんだけど、もっとのなかのほうでボーっと燃えていた。とても面白い世界だった。 今年、船村さんの本を読んで感じるものがたくさんあって、これから僕らはどんな歌を作っていけばいいんだろうか?と考え続け、今だってまだ考えている。多分全てが素晴らしいわけじゃないだろうし、ツマンナイ歌も死ぬほどあるんあだろうけど、歌の大きさがすごいなあ。日本人というのをもう少しやってみようかなっと。 着いたら珍しく川端さんが入り口の席で女性の方と話をしていた。山登りを仕事のようにやっている方で、ひとりであっちこちの山を登っているとのこと。帰るところだったみたいなのをムリやり引き止めて山の話をしてもらたった。途中、セプテンバー場連帯んを根室で中学生の時に聞いてファンになったと言うことまで教えていただきました。演歌といい、山登りと言い、これからブームになるのは近い。 今年はまだまだ、モイワで練習して、出来れば冬のモイワも練習して、来年は羊蹄山だ。 そうこうしているうちに徹が二階から降りてきて、打ち上げの隙間に話し込む。いつの間にか太ったヨン様に様変わりしていた。そのことは黙っていた。 仁木さんの姉さんも合流して久しぶりの話しをする。坂本さん、行啓通にオープンしたギター屋さん、旭川から来たとてもいい人、佐賀君、あらさん、色々な人と話が出来てよかった。川端さんがアイスコーヒーを出してくれた。商売物なのにすみませんでした。 ライブは盛況みたいだった。徹は忙しいねえ、と言ったらそろそろ暇になりますと言ってた。何か考えているみたいなので今度ゆっくり聴くことにして家に帰る。
「スローターハウス」、「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」、「葬制の起源」、「ホラー映画ベスト10殺人事件」、「身体から革命を起こす」 今読んでる本。 ガンスリンガーは最後の章。なかなか先に進まない。のか進まないようにしているのかよくわからん。
自転車で手稲まで。帰りに三角山によって音源を借りる。長いことさがしていたんだけど結局見つからないだろうと諦め、三角山にあったのをおぼえていのでさがしてもらった。「イマジネーション」は一向に出る気配がない。多分出てこないと思う。今の世の中、大体は何でも再発するんだけど。マニアすぎるか?
ありがとうに来てくれた皆さん、ありがとう。 ピップのおかげで腕が攣ることもなく、楽しくやらせてもらいました。 下のとう庵が閉まっていたのが残念だった。カレーと蕎麦食いたかったんだけど。住んでた時にはよく行った。蕎麦の盛りが多くて最近は結構大変と言うようなことをついさっき話した気がする。ラーメンライスの世界は無理だ。 そうだ、思い出した。吉野家の話だった。 みんなそれぞれに一家言もっているのだ。食い方や注文に。 でも、吉牛はなんで牛丼開始が11時なんだろう?もっと早くから始めてもいいんじゃないかと言う意見が多数。まあ、どっちにしてもいい大人が書く事じゃないか?
次は伊達のカンジーです。22日(土曜日)
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