・・・光を浴びるのは何年振りだろうか 数年越しの空腹間で目を覚まし、カーテンを開ける 良く見ると、体中ホコリだらけになってしまっている ふと、家族はどうなっているだろうと思ってみたが 考えない方が気楽だと思い、やめた
シャワーを浴び、居間へ行く。 居間には家族がいた ホコリをかぶって生活していた 父親の読んでいる新聞にはホコリが溜まって紙面が見えない そもそもいつの新聞だ 他のやつらは・・・よく見ると ホコリをかぶっているようで、かぶっておらず むしろ溜まったホコリの上に生活していた。 ホコリは通りぬけるのか?それともただ単に掃除してないのか むしろ何故数年間も起こさないのか・・・ 考えるだけ無駄なことの数々に、目をふさぎ、耳もふさぎ 鼻もふさいだら口しか残らない
人は生きる。長い長い歴史からすると個人個人の人生は一瞬でしかない しかしその中でも、人は出会い、そして別れを繰り返す 一生の付き合いになる出会い 道端ですれ違う程度の出会い 友達として、職場の上司として、また恋人として・・・ ずっと一緒にいない限り、人はいつかはそれぞれ別れて生きて行く 楽しい出会いもあるかもしれない つらい別れがあるかもしれない 忘れたくても忘れられない、そんな出会いや別れもあるだろう 例え忘れることがあったとしても、それはその人の一部になり その後も共に確かにあった記憶として歩んで行く それは、消えることは決してない・・・ そうなんだ・・・思うに、どんな人との出会い、別れもその人の心の一部となり 成長を共にしていくのではないだろうか 思い出されることがなくても、 確かに思い出の中に、心の中に、その人たちと過ごした時間 それは生きていけば、増えていく部屋のように存在する 別れたら、その部屋の、その人の扉は閉じる その扉は開かれることはなく、 また次の部屋へと進んで行く いつか思い出として思い出されるまで・・・ そうやって人は生きて行くのではないだろうか
今はまだ思い出に浸るときではない 立ち止まってもいい でも前を向いて、ゆっくりでもいいから歩んで行こう
・・・この世に生を受けたときから常に共にあるこの家族 この出会いこそは、避けようのない失敗ではないだろうか 空腹でおなかが鳴り、ふと我に返ると妹のストパーだけが居ない 気にすると後悔すると知りつつも、食卓の上もホコリに埋もれ 食事する気にもなれないので、部屋へ様子を見に行った
しかしどうも部屋にいない 部屋へ来る途中、ホコリに埋まった廊下に 人型に盛り上がったホコリが一部あったが、もしかするとあれだったのだろうか などと考えたり、実は両足の踝をくっつけたりしながら 耐えることのない空腹を忘れるために、また眠りへとついた・・・
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