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■ 3月11日、津波が最も早く襲った被災地でのこと
3月11日、「人を救う」という仕事をしている人達が全力を尽くして被災地で活動を続けた。消防士、消防団、自衛隊、警察、その他地元の方達。私は全員に賞、もしくは表彰をするべき、と思っている。しかし、国や政府から何の労いの言葉もないと聞くと私は個人的に国に憤慨する。彼らは命がけで仕事をしていたのだ。
しかし、彼らは謙虚にこう言う 「これが仕事だから」
これこそ、日本人の美徳であると思う。日本の復興(全く復興されてないが)被災地の再生は国が成し遂げたものではなく国民の民の力であると思っている。
もちろん、本人は守秘義務があるので、全ては私自身も聞いていない。しかし、かつては正に金剛像のような巨漢だった彼がやつれ、心なしか細くなり(とはいえ、ガタイは現役の頃並みにあるが)「年のせいだよ」と笑みで言う親友との話は私の胸に突き刺さり、色々な意味で、さらなる危機意識を高めた。
そして、私自身書けない部分は書けないことは初めに断っとく。
かれこれ再会は20年弱ぶりである。とはいえ、電話や年賀状は密にやり取りしていたが、本当に久しぶりであった。抱き合うか、握手するかと思いきや、意外や意外に会った瞬間、20年弱の時間はぶっ飛んで20年弱前、同じ釜の飯を食った頃の感覚にあっさり戻った。
「●●くん」←親友のことはくん付けで俺は呼んでる 「●●ちゃん」←俺は何故か岩手の偉人が由来の渾名
当時の呼び名で呼び合う。
彼は仲間内でも誇り高き職業の道を進み、個人的には友人の中では最も出世頭だと思う。順調に結婚、出産をして、そして聖職の道を進んだ。奥様も聖職に就いているので「子供には可哀想なことをした」とも呟いていた。
やはり、必然的に昨年の3月11日の話になった。彼は地震発生後、直ぐに津波が本州に届く最も早かった第一波の場所へ派遣された。
知ってる人は知ってるが三陸海岸はリアス式海岸で内陸の山地を越えて海岸沿いの国道を通るわけだが、峠あたりを越えても伊豆のように直ぐに町が見えるというわけではない。距離があるからだ。
しかし、彼は思わず車中で呟き、皆も同じ言葉を言ったという。 それは、ありえないことだからだ。
俺はこの台詞を聞いたときに、今までテレビで見てきた映像とは違う異常なぞくぞく感に全身を襲われた。これほど生々しい表現はこの一年間、聞いたことがなかった。
2012年05月27日(日)
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