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■ きみにパパと呼ばれるたびに笑顔になれる
きみの小さな手を
いつまでも握って歩んでいきたいけれど、
きみにとって大切な誰かと歩んでいくために
手を離さなければいけないけれど、
そのときがくるまでは
いつも手をつないでいよう
『ドラマチックな人生など必要ない』
改めて振り返ると自分の人生は波乱万丈な人生だった。男なのでそれはそれで良く、傷となったものより、糧となったもののほうが遥かに多い。
しかし、娘さんには平々凡々な人生を送ってもらいたい。波乱万丈な人生など送ってはいけない。そういう道に行かせてはならない、というのが親の役目なんだと思う。いい学校に行って、いい会社やいい組織に入っていい人と巡り会って平凡で幸せな結婚をしてくれれば親としてはコレ以上の喜びは無い。
だが、この平凡で普通の幸せというのが最も難しい。
以前、Confidentialを書いていたけどエキセントリックな読者が多くて「おいおい」と思ったが、現実も負けていない。
以前、うちの会社に勤めていた派遣の女の子の彼氏の両親が障害者の方で結婚に踏み出せないと悩んでいることを聞いたときに、どう言葉をかけていいか、俺には判らなかった。正直、俺のまわりに障害者の方はほとんど居ない人生だったので俺の引き出しには無かった世界の話だ。彼女は交際対象は健常者の家庭がいいと常々言っていた。その後、その女の子が退社するときに別の派遣の子と飲みに行ったときに、その話をしたという。すると、その子の父親も聴覚障害で耳が完全に聞こえない方だったという。電車の中で手話や筆談をしようとすると父親が恥ずかしいので止めて、と断られる話をまた聞きで聞いた。その子のある生き方の側面には、その事も関係しているのかな?と初めて気づいた。
全ての人間とは言わないが、ほとんどの人が何か闇を抱えている。100%幸せで光り輝いている世界で生きている人間など皆無であろう。
それでも、娘さんにはその難しい普通の幸せと平凡な世界で生きていってもらいたい。
娘さんが老衰するまで見届けたいところではあるが、様々な女性に聞いたところ、んなとこ、親に見られたくないらしいので、俺は先に大往生するけど、死ぬ瞬間まで幸せな人生を歩んでもらえたらな、と常々思っている。
確かに、人生は自分が主人公のドラマや映画のようなものである。楽しかったりハッピーエンドでなければならない。若干の紆余曲折は許せるが、パパの人生のようなクリフハンガー的な展開の人生は決してオススメしない。
しかし、男という生物は子供が出来ると価値観や感覚が、どんな男でも全て変わってしまう。もともと幼少期から母性を持つ女性は見てるとあまり変わらんが、男は変わるものである。
ジョン・トラボルタも、犯罪歴まであったマーク・ウォルバーグも子供が出来たときに「こいつにはやられた」という台詞を言っているが、正にそのとおりである。女性にはわからないだろうが、とても不思議な感覚である。
だから、俺は子供が居て離婚をしたりして、合法的にではあるが、自分の血の繋がった子供を捨てる(離れる)人なんて信用できない。
2010年05月17日(月)
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