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■ ちょっと信じられないお金の話
よく私は大人になってからお金を拾うことが多い。勿論、小銭だ(大銭もあるがここでは割愛)それが、なんというか、神様が置いていったかのような感じのシチュエイションが多くて、かなり不思議でしょうがない。パパは宵越しの金を持たない方なので普段でも所持金ゼロ近くになることが多い。しかし、そういうときに限って、それらを助けるお金を拾うことが多いのだ。統計的に見ても、それは人知を超えるくらい不思議だ。
例えば、
①雨が降っていて濡れないように別の路線で帰ろうと思ったら券売機の前で十円が足りず、「参ったなあ」と思ってふと、券売機のしたの台を見ていると十円玉が落ちていて電車に乗ることが出来た。
②バスに乗ろうと思ったら、これまた三十円ほど足りなくて「まじいなあ」と思ってたら五十円がバス亭に落ちていて難なくバスに乗ることが出来た。
そして、今回。ちょっと帰りに何も考えずに立ち食い蕎麦を食べてしまい所持金が170円しかないことに電車で気付いた。こりゃ歩くしかないかと絶望していたのですが、上記①、②のことを思い出し、不本意というか、恥ずかしながら「落ちてないかな?」と探した。しかし、ここの駅はホームレスが多く、人通りも尋常でないため、まずそれはありえないと思っていた。しかし、嘘のようで本当の話だけど、エスカレーターのベルトの巻き込み口の下の視覚に百円が落ちていたのだ(本当)俺は「本当かよ」と思いながら呆然として人の波に押されてエスカレーターで降りてしまった。で、引き返し、百円をゲットしてバスに乗って帰ることが出来た。そのとき、奥さんに「タクシー乗るけど無賃だから玄関に二千円ほど用意してくれ」とお願いしたあとだったので、奥さんにもその旨を話した。驚くような本当の話である。
分析すると切羽詰まると、お金が出てくるのかな、とも思いました。それに、今回の以前に実は、とあることがあったのです。基本的に子供の頃から一円玉が落ちていたら「一円を笑うものは一円に泣く」という主義でしたので、一円玉でもちゃんと拾っていたのですが、ある日、一円玉を見つけたのですが「どうぜ、拾ってもお金は貯まらんしなあ」と放置して歩いていったら、別の場所に再び一円玉が。俺はここで、これは変な何かの誘惑なのかも知れないと思い、再び拾わないで放置プレイ。そしたら次はどっかの棚の上に五円玉。なにかあるのかなー、もしくはどんどん増えていくのかなーと拾わなかったときがありました。絶対誰もが広いまくる土地で、これほど小銭を拾い捲るのも凄いなーと思いました。
2008年10月19日(日)
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