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2009年11月18日(水) 「なう」考

幹事クリタのコーカイ日誌2009」11月18日「なう」に感じる抵抗と面白さ。を拝見しました。

先日からtwitterでつぶやき始めた私ですが、まぁ元来の「明日出来る事は絶対今日しない」的性格から、どうやって使うかなどは最低限の事しかしらず、それ以上は「また後で調べよう」の「後」がなかなかやってこない日々を過ごしているのですけれど、それでも様々な人が書いている文章を読んでいる内に「なう」と言う言葉が末尾に付く文章が目に付く事には気付いていました。

例えば九州方面の「〜ばい」とか福島浜通地方の「〜だっぱっい」のような末尾に付く方言的言い回しかと思ったのですが、どうもそうではないようです。で、様々な状況を鑑みると、どうも「今、私は○▼をしている」「今、私は◆※を見ている」などの時に「○▼なう」「◆※なう」と言う様な使い方をしているようです。

正直、私はこういう言葉遣いが苦手です。例えそれが今の流行であっても(クリタさんの書くことと重複してしまいますが)、「全然」の使い方は「全然〜ない」の否定であって、「全然〜ある」と言う肯定には虫酸が走るのです。それを赤の他人が使うことに対して文句は言いませんが、私に向かってそう言う友人が居れば「それは用法が違う」と諭しますし、自分が使うことはまず絶対にないでしょう。ましてや「なう」なんて言葉を自分が使うことはあり得ない!と思って居たのです。

しかし、今日、クリタさんのリンクした文章を見て「なるほどねぇ」と思ったのですわ。

そう言えば、外国の映画などでチャットをするシーンなどで「you」を「u」、「to」を「2」と置き換えてタイプする場面などがあります。いちいち正確な表現をするのではなく、ここで通じれば良い言葉は確かに存在します。「なう」もいちいち「私は、今、京都の、金閣寺に、います」等と説明をするより「銀閣寺なう」で済めばタイプする方も楽だし、読む方もそれで通じるのですから、それはそれで良いのですね。大体twitterは常に発信は「自分」ですし、大前提として「今」ですから確かに堅苦しい昔ながらの言葉は不要なのかも知れません。

この言葉が定着するのか一過性か、それは分かりませんが、twitterを利用する多くの人が「なう」の意味をきちんと理解して使っているのであれば、それはそれで受け入れるのは個人の問題ですわね。先の「全然〜ある」とは別次元の話と考える必要があるのでしょう。要は「こんな言葉を使えるか」と思うのは自分の中で受け入れられるかどうかと言う基準であって、突然私がtwitterで「○※なう」と書いたとしても、「あ、こいつ阿(おもね)りやがった」とか「あ、こいつ、こんな言葉遣いして。恥ずかしい奴」なんて思われたりはしないでしょう。うん、結局突き詰めたら、自分が時流に乗れるかどうかの問題なんだな。


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