The Green Hills of Earth
インサイトが納車されて5ヶ月、ついに接触事故が起きてしまいました。
旧居に引っ越す前に住んでいた、埼玉県上福岡市(現ふじみ野市)に住んでいた時、原付バイクを買いました。買ったのは平成11年3月26日。東京は杉並区の馴染みのバイク屋で買って、軽トラックを借りて家まで運んで、自分でナンバーは交付すると言ったのです。 3月中に登録すると、平成10年度分の税金も支払わなければなりませんから、私はバイクを4月2日まで寝かせ市役所に行きました。そしたら、市役所の阿呆が言うには「このバイクは3月26日に購入していますから、4月1日までの昨年度分の税金がかかります」と言うのです。 私は「アホか。原動機付き自転車というのは、鑑札がついて初めてバイクになって納税義務を生じるんだ。それまでは鉄くずだ。古いバイクのコレクターがナンバーをつけていないバイクを持っているのも同じ理屈だろう」と言いますと、その阿呆は「はい、私たちは近隣の市町村と勉強会を開いて、そこで六法全書なども含め勉強をしており、その結果、バイクをいつ買ったか分からないので、販売証明書の日付を所有した日とし、それから所有している限り『ナンバーがなくても』納税義務があるとしております。コレクターの方にも説明をしてご理解いただいて税金を支払って貰っております」と言うではありませんか。 「それは、税金泥棒と言うんだ。なんでナンバーのない鉄くずに納税義務がある? 近隣市町村? 埼玉の片田舎でちまちま勉強なんかするより、東京に行って勉強してきたらどうだ?」と言ったのですが、その阿呆は聞く耳を持たず、その後ろにいた課長に至っては、睨んだらこそこそ逃げ出す始末。 「じゃあ、納税の用紙を送付する封筒に「使用しないバイクは廃車しないと税金がいつまでもかかるぞ」と書いてあるのは無意味だって事か?」と聞くと、胸を張って「はい」と言うのです。 もうここまで来ると、阿呆という以外表現はありません。呆れましたが仕方がないので、杉並のバイク屋に行って事情を話し(みんな呆れて、バイク屋からも市役所に電話をして貰いましたが、それでも効果なし)、4月2日付けの販売証明書をもう一度作ってもらって、それで市役所に「これで文句なかろう」と鑑札の交付を受けた次第。 翌年、私は旧居を購入し引っ越しました。バイクはもう乗らなくなったのですが、廃車をしても税金を支払えと言う訳ですから、廃車の手続きはしません。そして納税も当然しません。どうせ1年800円ですから、意地を張れるだけ張ってみようと思った訳です。 それから数年後に上福岡市役所から葉書が来ました。「納税がされていないし、廃車するならしてくれ」と言う内容です。こう言うのが来ると言う事は、そのイナカモノだけで勉強会をしていた阿呆がどこかへ飛ばされたのかと、一度上福岡市役所へ行ってその阿呆がいるか確認したのですが、不思議な事にまだそこにいました。その阿呆に「あなたは数年前に歯医者をしても税金を支払って貰うと言ったんだけど、税金を支払いたくなかったら廃車しろと葉書が来た。どういう事?」と聞いてみると、「(そんな話をした事は)一切記憶にございません」という答えが返ってきたので、また放っておく事に。 このままずっと放置しようと思っていたのですが、残念ながら今回の引越しで、流石にゴミのバイクを持っている訳にはいかなくなり、業者に引き取って貰いました。その条件として廃車はきちんとしてくださいと言う事でしたので、改めて役所に電話をしたのです。 「引越しをする事になったので、バイクの鑑札を返したいのですが、実は故意に10年程税金は支払っていませんでした」と伝えました。これだけの話ですから、相手は「では、その分をお支払い願います」と言ってくる訳です。そこで「あんた達の先輩に阿呆が居て、廃車をしても税金を徴収し続けると言い切ったので、廃車をしても無駄と思っていたんだけどね」と切り出した訳です。 結論から言うと、私の話を聞いて内部で調査をした結果、自分たちの非を認め、「そういう事情があったのは事実だから(そして翌年は転出しているから)税金は徴収致しません」となりました。 また、今回対応したヤツも、「バイクを買った時期は販売証明書で判断するしかない」と言う説を繰り返していたので、「それは間違えている。販売証明書が基準ではなく、市役所に登録に行った時点が基準なんだ。廃車したら納税対象外になるのと一緒だ」と言う話を繰り返し、「あんた達がやっている事は、3月に買って4月登録した人達から無駄な税金を巻き上げている事になるんだぞ」と改めて抗議もしました。 購入と登録が4月2日を挟んで行われた場合、たった800円とは言え、余分な税金を支払わせるというのは役所のやり方として正しくはありません。該当する人はかなり少ないと思いますが、思い当たる節があるなら、抗議してみる価値はあると思います。 また、上福岡市では、こういう阿呆が幅を利かせていたと言う事は、他の市町村でも同じような事があるのかも知れません。「六法全書を一生懸命広げ、近隣市町村の人達と勉強会をして…」って、それでこの程度です。役所の阿呆って言うのはこの程度なんですよ。あげつらうのが目的ではなく、公務員試験に受かっただけで、大して頭の良い訳でもない人が一生懸命やった結果は常に正しいとは限らないから、どうか役所のやる事が全て正しいと思っちゃ駄目よと言う事ですかね。 どんな理由があれ、納税をわざとしないというのは悪い事と言われたらその通り。私がやった事は悪い事で、褒められた事ではありません。しかし、10年を経過してようやく阿呆に間違いを認めさせたというのは嬉しい限り。でも、「結局あいつは1年しかいなかったんだし、たった800円だったら、支払い不要ですと言って黙らせた方が面倒ないな」とか思ってるだけだとしたら悔しいですね…
2009年6月9日に「福山にて(旅行4日目)」という雑文の中で鞆の浦へ行ってきた事、そこに架橋工事の是非論争が起きている事を書きました。 その是非論争の結果として、広島地裁は「鞆の浦の景観は国民の財産」として、埋め立て工事の差し止めを県に命じました。 推進派は、景観も大事だが生活も大事として架橋は不可欠とします。反対派は、江戸時代から続く景観を守る義務がある。必要ならトンネルを掘れば良いと言います。 現地を短時間見ただけの私には、橋を架けたからと言って交通が便利になるとは思えませんでした。鞆の浦と言う地域へ続く両端の道路が結ばれるだけ。要は鞆の浦をスルーする道路が景観を壊してできるだけという印象です。またトンネル案も街の裏側を通るだけで、どちらも鞆の浦のためにある計画なのか甚だ疑問でした。部外者の私には、どこまでを鞆の浦というのか詳細には分かりませんが、いわゆる「部落の中の道」は狭くて不便なのは間違いありませんが、部落を一歩出れば、別に不便のある道路ではないのです。 ま、土木工事って言うのは本当に必要を生じて工事するなんて稀ですよね。殆どがその地域の議員などが利権を得るための工事で、住民の利便性なんて二の次三の次でしょう。その中でも、やはり鞆の浦という地域の将来を考えたら、架橋よりトンネルだろうなぁと思うのですが、そのトンネルすらも本当に必要なのかなと思うのは部外者だからでしょうかねぇ… リンク、引用はご自由に。画像は勝手に持ち出さないことを祈ります。 COPYRIGHT(C) Lunatic 2002-2010 |