The Green Hills of Earth
「自分だけは別」と思うのか、飲酒運転のニュースがなくなりませんね。
昨日に引き続き、部屋の中を整理中。 片付けているとか整理をしているというより、「ごみを捨てている」と言う感じです。それくらいごみの量が多いんです。オークションに出せば結構高値で売れそうとか思うようなものも多くて、「ま、置ける場所はあるし」と、ついつい捨てることを怠っていたのです。しかし、本来怠け者の私は、そういう[売る努力」もせず、単に溜め込むだけだったのですが、ここに来て、新居にこれだけのごみを入れる余地がないという物理的根拠ができて初めて思い切って物を捨てると言うことができる訳です。 たとえばスピーカーなどは、オークションに出せばほしいと言う人は多分いる。でも、スピーカーを梱包するには、コーン紙が絶対に傷つかないよう保護しなければなりませんし、結構梱包が面倒です。そんな思いをするのはいやだとか、結局「めんどくさいから全部捨てちゃえ」となっているのです。ごみの山も、最初の頃は多少分別もしていましたが、今はあまり区別がなくなってきました。どうせ箱詰めするときに分けるんだからいいやと言う感じです。 今日は、押入れのプラスチックコンテナの中から、5年くらい前に福井へ行ったときに買ったペットボトルのお茶が数本と、兵庫県の龍野で買った醤油が出てきました。醤油を5年もペットボトルに入れて保管しておくと、ペットボトルとかが醤油の色に染まっちゃうんですね。ペットボトルに溶け込んだのではなく、ペットボトルの表面に幕を張っている状態だと思うのですが、黒いペットボトルになっています。そこに在庫があるとは知らず、その後で何本も龍野からは醤油を取り寄せて今でも愛用しています。もったいない話ですね。 更には、いつどこで紛れ込んだのかまったく覚えがない(多分、何年か前に親が送ってきたんだと思いますが)、小学校から高校までのさまざまなもの(テストの解答用紙とか、読書感想文だとか文集とか…)がでてきました。ちょっと見てみましたが、兎に角顔から火が出るくらい恥ずかしいものです。ええ、置いておく場所はないので、全部破棄です。こういう思い出の品物を取っておきたい衝動もありますけれど、そういう何十年に一度見るかどうかみたいなものは狭い家には邪魔物でしかないのです。思い出は美しくありましょう。高校時代の赤点すれすれの答案用紙は見なかったことにします…
ごみの山の下から、ヤマハのスピーカーの箱が出てきました。お店で買ったときに封印したテープが破られていないって事は、買ってきたけど未使用って事ですね。そうそう、サラウンドアンプ用に買っては来たのですが、こんな安物スピーカーより、うちに眠っているKENWOODのK'sと言うシステムコンポのスピーカーを使った方がなんぼかマシと考え直してお蔵入りさせたんだっけと思い出しました。そういえば、東京から都落ちしたときも、ヤマハの買ったばかりのスピーカーを新しい場所には置けないからと捨てて、後からオークションに出せば結構な値段で売れたんだと知って悔しい思いをしたんでしたっけ。どうもヤマハのスピーカーは引越しと縁があるようです。 昨日は新居への用事に初めて列車で出かけました。その後、池袋辺りによってみようと思っていたので、そういうところに行くには自動車で良くと駐車場探しが面倒かなと思えたのです。 用事が終わって最寄の駅についてみると、改札の横が工事中です。何かと思ったら、近々上階も含めてショッピングセンターのようなものができるのだそうです。それも私が引っ越した後にできるんだそうです。 私が東京に出てきて2年目から住んでいた練馬は、私がいなくなってから区役所を新築し、私の住んでいたアパートも私が出るのを待っていたかのように新築したようです。 そこをでて転勤した先の茨城県神栖町では、まぁこちらは幸いなことに、私が行ったとき初めてセブンイレブンと吉野家がオープンし、これで1日20時間労働(通常手取り25万円程度だったのが、手取り80万円を超えるくらい残業した3ヶ月)を生きながらえたのですが、私が東京に戻ってから、マクドナルドがオープンして長蛇の列ができたのだそうです。それ以外にもファミレスと言えばCOCO'Sしかなかった町にいくつかのファミレスもできて、町らしくなったんですよね。 茨城県転勤を終え東京に戻ってきたとき、どうせなら通勤は楽な方がいいと考えました。豊島園なら池袋からも近いし(転勤前は練馬区役所裏に住んでいた)、ここなら始発で直通です。行きも帰りも楽でしょと豊島園の裏手に住んだのですが、住み始めて1ヶ月もしないうちに、西武池袋線高架化に伴う工事のためと称して、豊島園からの列車は全て練馬との往復のみになってしまいました。そして私が豊島園から引っ越した後、大江戸線が光が丘から開通し、その近くには大型店舗が次々とできたのでした。そう、私は練馬区の南北差別の末期を味わったのですね。 それから引っ越した大泉学園はやはり私が引っ越して去った直後に家から歩いていける距離にライフ(スーパー)ができたり、駅前が再開発されたりしましたね。 そして今の住処に来る前の埼玉県上福岡市も、私がいなくなったら駅前が再開発されて、見違える町になりましたよ。 そしてこの町も私がいなくなった途端に便利になるんですか…わたしは疫病神ですか?って言いたくなりますよね。そして、新居のある町は、私が住んでいる限り発展しないと言うことでしょうか…そう思うと悲しくなってきますね。誰か違うと言ってくれ…ジンクスとは思いたくないけど、これだけいなくなったら便利になったと言うのが続くと嫌になります。 リンク、引用はご自由に。画像は勝手に持ち出さないことを祈ります。 COPYRIGHT(C) Lunatic 2002-2010 |